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日記一覧

「小林博士を一度拝見」の文の終わりに記した、小林博士の「(私の福祉活動は)ボランティアだった」のボランティアの意味は、善意が絡んだアマチュア活動とか、素人活動だと思えば、判りやすいだろう。確かに、福祉のプロ意識が欠けていたかもしれない。

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  1977年5月。僕の所属していた福祉会主催の小林博士の講演会で。会話はできなかったが、姿を拝見し、講演も聞いた。大柄な身体で元々はものすごく体力がありそうだったが、69歳になられていた77年は見るからに活気がなく、痛々しそうな表情だった

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フェイスブック投稿から
2019年09月28日11:20

例の小説の次の章の準備を始めました。1966年の1月と2月の東京の気候調べから。非常な暖冬である事が判りました。今年の1、2月よりも暖かったわけです。17度ぐらいの最高気温の日もあった。まだ地球温暖化が叫ばれていない時もそのような暖かい時が

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今朝の医学関係の投稿文は、元々は40年来の医者の一旧友にあてたものです。フェイスブックでは、(韓国・中国系含む)各コミニティにも投稿し、「イイネ」も頂きました。コミニティに投稿すること自体が社会性がある内容だという事ですね。その医者の方

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素人的な医学考察で失礼しますが、人間の生存率は「医療・栄養状態・住居状態や暖房(地球温暖化の今は、冷房も含まれる)」で決まるのではないでしょうか。身障児者や難病を持つ者には特に言えると思います。この三つの内、一つでも欠いた見方をすると、中途

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 書き始めたのは去年5月14日。最後にそこを訪れてから、丁度40年たった日でしたが、書き進めて、掘り起こしてもいる内に、日本だけでも、これから書いていく施設関係のウィルス感染症対策とか、脳性まひ者の硬直への対応策、医者の人体実験、投げや

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これから「シマハタ・光と陰」は、1966年以降に入る訳です。創立5年になる。まだひたむきな面が強かった頃ですね。職員や身障室の他、知的障碍室や植物人間室の様子も書いて行くと。 しかし、行っていた時は気が付きませんでしたが、園生たちは勿論、職

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  日本の元患者の意見が大きく分かれているからです。出身地域によって。部落差別がある地域と、ない地域では大違い。  北海道、東北、鹿児島、沖縄県の各地域は部落差別がなかったです。それらでは江戸時代までは単なる病気や障碍の一つに過ぎず、差別も

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大昔いた生き物 今ははるか遠くの宇宙のことも少しずつ調べられるようになり、生き物がいるかもしれない惑星(わくせい)も見つかり始めていますね。きっと色々な形の生き物がいることでしょう。 われわれの住む地球も非常に多くの種類(しゅるい)の生き物

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最近読んだが、近年僕が読んだ本の中では一番面白かった。内容の請け売りを書いても始まらないから、興味のある人はお読みになると良い。「ファシズム」と僕も今までは悪口として、その言葉を使ってきたが、その内容についてはよく知らなかった事を思い知

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小学生向け随筆
2019年09月20日17:11

 佐久のみなさんへ.2019年9月  9月9日に書いています。強い台風15号が東京の近くを通った日ですね。その明け方に世田谷でも風の音が強くなり、ぼくは目がさめて、用意してあったけいたいラジオのNHK放送を聞いたところ、ちょうど午前4時にな

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フェイスブック投稿から
2019年09月20日15:14

よく考えてみれば、長年に渡り、御縁がなかった分、愛や結婚について僕は深く考察できたと。普通の人の何倍も。それに見合い、余りある果実はすでに頂いている。ありがたいと。それから、僕のその件は本当に身障差別を大きく越えているし、僕の見てきた多くの

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「更なる幸運」の補足
2019年09月20日13:31

 書き忘れたが、島田療育園訪問の経験が子供向け文にも深い影響を与えているのは言うまでもない。ただし、僕自身が今まで気が付かなかっただけで。島田経験がなくて、子供向け文を書いても別の内容のものになったはずだ。  僕の寿命も神様しか知らない

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更なる僕の幸運
2019年09月20日11:03

「島田療育園に行った時期」の他、ほぼ同時に高島平子供会にも行き、子供たちと一緒に遊べたことである。その経験が後々になり、子供向け随筆と科学の文に発展した。その文筆の土台があるからこそ、島田療育園の小説も書けているわけである。たった昨日に

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思えば、僕がそこに行った1977、8年は、「光と陰」の両方が混在していた時期だから、両方の面を僕はしっかり見る事が出来た。小説も、随筆も、その両方を書かなぃと一本調子の文体になり、成立しないものである。光だけは上べだけの調子になるし、陰

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1982、3年だったと聞いている。例の身障ミニコミ会の一サポーターから聞いた事ですが。その頃は、「園生たちは外出も、面会もできず、ボランティアも関われなくなった」。僕が去ってからの4年間に急速に悪くなったとか。80年には、女性身障園生が

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70年代後半に僕が相次いで行なった島田療育園と、高島平子供会の事ですね。どちらも僕の自らの意志で行きました。だから、行けなくなる・潰れても問題意識はどちらも深められ、前者は今の小説、後者は子供向け文につながっているわけです。問題意識が強ま

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  1945年から90年までのアメリカ・ヨーロッパ・日本の事である。事故などでの障碍は別にして、それまでは多くの障碍は遺伝と世間では思われ、しかも、「祖先の悪業や原罪の報い」という迷信も絡み、差別はひどかった。その事は多くの福祉の古典的な本

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大体、島田療育園は1949年生まれから65年生まれの障碍児を扱っている。その時代は日本の医療が進歩を始めた時期。まだ出産技術が未発達で、そのミスによる脳性まひや知的障碍が生まれていた。戦前は大体そのまま病死したが、その時期は生き長らえるよう

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フェイスブック投稿から
2019年09月14日13:40

小説の舞台裏を話すと、島田でも、全生園でもタダでは思い出せません。一緒に同行してくれた人たちへの手紙やメールを書く事により、思い出し、書けるまでになるわけです。島田の場合は書ける相手が今も非常に多いです。でも、全生園は。今日書いた通り、同行

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  1.  感情移入は人間関係の基礎だと思われる。それができない・困難な人は他人を思いやれないからだ。友人関係・仲間関係・恋愛関係・夫婦とそうである。一方がそれができなくなる夫婦は不和になり、両方ができなくなる夫婦は離婚する。  2.  ボ

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  昨日(12日)午後10時からNHK教育テレビで放送された「フランケンシュタインの誘惑」に、ナチスに協力した優秀な医者である「フェアシュアー」の事が放送されていた。放送によると、彼に限らず、ナチスが出現する前から、ドイツでは「優生学」が盛

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 その小説化の僕の根本理由も表題通りである。83年に抗議運動した身障者たちもそうだし、多くのボランティアも今思うとそれで行き続け、後もこだわっているわけである。恐らくは、身障園生に感情移入した職員さんたちもいたと思う。僕の場合は、3人の

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今気が付きましたが、僕が書いている昔の事も、あくまでも「今から見た昔の事」であり、実際は今の自分の見方を書いている訳なのですね。仮に、10年後の自分の事を書いても同じです。実際は、今の自分。誰でも自分の心は刻々と変化するから、例えば、「10

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まず、1978年の僕の島田行動は単発で終わり、1983年の身障ミニコミ会の人達の行動は果ては国会までいくような、大規模なものになった。何が違ったのか?  明らかに、少し前に話したM氏の件である。78年は島田の事を、職員などと紛争していた

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先のイジメのついでに書くと、島田園生間にはイジメは僕の知る限りでは、なかったです。理由は、知的障碍を持たない身障園生の人数が少なかった事もありますね。また、いつも園生たちはそれぞれ違う事をしていた。ある人はタイプライターで絵を描き、別の

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フェイスブック投稿から
2019年09月11日09:58

 思い出せば、光明養護の僕の学級・学年でも転校生の問題が2回ありました。特に、小学5年の時が深刻。ウィルソン病という、内臓と脳に銅がたまり、情緒障碍と内臓衰弱を起こす難病の男の子が公立校から来ましたが、クラスの人たちと合わず、ケンカばかりし

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僕が小学5年生だった時だから、1966年だったが、一学年先輩の一つの男子児童のお母さんが他界され、その人は歩けて、介護の必要もないだけ、脳性まひ障碍は軽かったが、当時はヘルパーもなかったし、世話をする人もいないため、そのまま全寮制の別の

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  1984年だったと思うが、ある教派の教会で新約聖書の説教の時に僕もそれを聞きました。その前からその個所はよく知っていましたが、単なる人助けだと思っていたわけです。そのように思っている人も世界的に多いと思います。でも、少し違った。要するに

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1995年3月。東京の複数の地下鉄でサリンガスのテロで、多くの方が死傷された。山梨県などにあったオウム教団施設のサティアンもニュースなどに連日報道されるように。乳幼児は別として、日本人の多くはオウム真理教に向き合った。僕も向き合ってい

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