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日記一覧

  「自分を見失う」という全人類にも通じる深い問題がK氏にはあり、時間はかかったが、書けた。でも、別の意味で深い問題があるはずの伊藤まつさんの件は書けない。理由も以下だと。   いくら自分を見失っていても、K氏は僕にも心開いていた。構えた感

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  歴史研究は書店にほとんど売られていないような多くの古典書を一人でコツコツ調べ上げていく作業であり、地味な努力の積み重ねです。日本史を当時は専行して学んでいたK氏も一人でやる地味な努力を好み、また、歴史学者に向いた性格である事が今の僕には

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  77、8年当時のK氏は日本史を学ぶ学生だった。日本の多くの古典書から聴覚障碍者関係の史料を調べて、聴覚障碍者の昔の置かれた状況を調べていた。大昔から日本では耳の聞えない人たちは「聞く耳を持たない人たち」と思われて、非常にバカにされていた

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  大村益次郎関係のブログの最後に書いた、ある大学の手話会。僕は1977年12月で止めましたが、その後は学生の会員が増えたそうです。但し、学生たちは遊び感覚で手話をやり、ふざけ始めた。一方、耳の聞えないKは、当時の日本の聾唖(ろうあ)者たち

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 御覧の通り、今日はブログで手話会失敗の件も書き始めた。気が付いたが、トラブルや挫折の多い事には、むしろ、社会に問いかけられる問題が隠されているのではないか。逆に、伊藤まつさんと僕の関係みたいにスムースに進み、完結したような事は社会に問う要

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  日本の皆様は御覧になった人もいるでしょうが、9月16日にNHKで放送された「歴史ひすとりあ」というTV番組で、幕末から明治初め(19世紀後半)に活躍した大村益次郎の書いた英語が出ていました。イギリス人に英語を直されていた。放送では説明し

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もし、挙式に出たら
2016年09月23日15:26

  I氏の挙式に僕や(身障運動家)M子が出ても、失敗しただろう。何故なら、二人共、I氏の事は何も知らないわけだから。生い立ちも聞いていないし、二人共、うっかり聞くのを忘れていたわけだから。それではスピーチの仕様もない。するとして、紋切り型の

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意志疎通カルマ
2016年09月23日11:52

 例の手話会の事。様子をはっきり思い出せた。その耳の聞えないKは教える事に、皆は覚える事にだけ一生懸命。Kには誰も話し掛けなかったし、K自身も皆に話し掛けなかった。それなら、彼は「先生」みたいになったと。判りやすく言えば、浮いたわけ。 Kや

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  どちらも「意思疎通の大切さ」に気が付かなかった点ではないかと。1960年代に盛んだった全共闘は、多くの社会問題に目を向けて、改善しようとした。教育、政治、経済、福祉と。でも、次第に内輪しか通じない話し方をするようになり、分派も激しくなり

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  1961年春から夏。3ヶ月間、東京都の板橋区にある「整肢療護園」という、身障児の幼稚園みたいな所に母子で、住み込み入園し、合宿生活みたいな日々を送った。そこではリハビリ、マッサージ、お遊戯をした。有名人の訪問も多い所で、歌手の坂本九や橋

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  昨日の続きである。  その大学の学生の多くは「遊び感覚で手話をする。でも、耳の聞えないKは聴覚障碍者の悲惨な状況を訴える。合わずにケンカした」という話を人から聞いた覚えがある。これとは別にKは福祉会の人たちとも合わなくなったと。  それ

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  77年のその関係をしっかり思い出しました。「手話をやってくれ」というK君の声は無視はしなかったです。確かに、全生園合宿では彼は孤立しましたが。全生園にもかなりが飽きた77年秋には有志がK君のいた大学に会場を設けて、手話会をして、その大学

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教育と20世紀の日本
2016年09月20日11:56

  まず、大学でいきなり論文を書き始めて、4年間で論文式思考ができるようになるだろうか。非常に頭が良い人でもムリだろう。それまでの○×式や断片知識の習慣は抜けきらないものだ。国を動かしている高官や、戦前の高級軍人たちも。それを下敷きに20世

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  先のブログで「S園の事から僕は論文が書けるようになった」と書きましたが、本当に文らしいものが書けるようになったのは1990年の福祉キャンプの子供向け宇宙の文の時です。この間、13年ありました。S園に行った77年の時点でいきなりまともな文

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  入試だけでもなかった。今は中学・高校でも試験に論文式をかなり取り入れていると聞いているが、特に1980年代までは○×式と断片筆記が多かった。筆記障碍の生徒が多かったせいもあったかも知れないが、僕の母校の光明養護学校でもそうだった。だから

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  Q子、例の「東大医学生」、I氏と共通する過去があった事に気が付いている。それを受験経験のない僕が書く事は非常に皮肉だと思う。  あるいは、何かの会や宗教団体に入ったり、個人交友すると、仲間やパートナーの問題を自動的に共有するのかもしれな

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  相手はある学生福祉会で一緒だったI氏。いきさつはやや複雑だが、82年ごろの氏の挙式に僕と身障運動家女性のM子を招待したが、親戚筋から障碍者の出席はいけないと言われ、悩んだ末、その通りにした事があった。(僕には、「会社がいけないと言った」

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  簡単である。当事者である中学・高校生と、大学予備校生は受験勉強が忙しく、その改善運動どころか、悲鳴を世間に訴える暇もないからである。特に、ITのなかった時代は尚更。その一部の者がストレスのため、親に暴力をふるったり、精神病になるくらいで

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  そのようにした中心人物は実は東大医学生。一浪の後、入学。でも、入学後は勉強はせず、その東京教区の青年会のボスみたいな存在になっていました。  その医学生の発想も、以前関わり合った福祉会の学生たちとそっくりでした。やはり、受験社会を無くす

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  当時、個人的に付き合っていた同世代の女性がいた。前も話したが、日本語イニシャルにはないQ子と記す。Q子の経歴から述べたい。  小学時代の事は判らない。中学・高校は進学校。大学と大学院は薬学部。その時期に僕と交際。後は少しだけ製薬会社に勤

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  アメーバやフェイスブックでは流せない事だが、僕は書けるはず。何故なら、受験勉強風にしかできない人たちの福祉会にたまたま入り、それでハンセン氏病知識を詰め込まされようとしたり、いきなり統合教育推進・反養護学校運動を持ちかけられたから。間接

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健全児たちも受難だった
2016年09月15日10:32

  確かに、行政の対応が遅れて、一生を棒に振った身障児も多かったですが、では、健全児=障碍を持たない子供たちはどうだったか?と言えば、これもひどい状況でした。  日本人の皆様はご存知の通り、かつては大都市では、小中学校で一学級に50人位の生

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「神の仕事」の補足
2016年09月14日13:07

     英国国教会が欲望資本主義に大きく関与した事は、ヴァチカンにいる高位聖職者たちは知っているに違いない。ヴァチカンは英国国教会を破門した形になっているし、1978年まではローマ法王がイギリスを訪問する事はなかった。  僕の知る限りにお

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神の仕事の事例
2016年09月14日12:00

   プライバシーもあるので詳しくは言えないが、医者の息子で50台半ばの男性。仕事は持たず、日曜はカトリック教会に行き、そこで海外奉仕関係の仕事をされている。本人もそれが「私の仕事」た゜と信じているようである。また、カトリック教会にも色々あ

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  先に書いた小学一年の前の自伝的ブログに少しだけ取り上げたこの問題について、あれからも考えています。  まず、僕の彼らへの想いですが、昔の事とは言え、障碍を持つ子供たちの教育権を無視していた政治家たち、文部省、世間に強い怒りを持っています

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  このような題名ならば何の事か、判りませんね。少しずつ説明していきます。  某福祉会に僕が入って半年後ですから、また僕も新人の頃でしたが、役員を中心にいきなりハンセン氏病関係の話し合いを始めるようになり、ハンセン氏病問題の啓もうも役員たち

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   1962年2月。もうじき6歳になろうとしていた私は父母に連れられて、光明養護学校に来ていた。入学選考試験である。同様に、身体に障碍を持つ6歳ごろの子供がたくさん来ていた。障碍の種類や程度は様々だった。歩けない子もいれば、ゆっくり歩いて

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  1966年の介助員運動の事をいきなり書く事も考えたが、その前の光明養護の状況説明から書かないと読者は判ってくれないと思い、僕の小学1年の時の様子から書く事に決めた。これで良い。  思えば、今までは僕の全生園や伊藤まつさん訪問記も、行った

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予定
2016年09月10日09:59

  これから僕が小学一年=1962年からの光明養護学校の様子を大まかにですが、記していきたいと思います。来週から書いていくわけです。そのための思い出しも行なっています。今では考えられない状況もあったため、知ると呆れる読者もいると思います。そ

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  マイミク向けに書いた「S氏と対立した連中」の価値観では、「歴史を作ること・記録する事」が仕事という意味である。歴史とは、何もフランス革命みたいな事だけでなく、庶民の生活も「歴史」になるとか。神様ではなく、人々が作り、記録する歴史に絶対的

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