医者業には必ず法律が絡んできますね。だから、法律も常に意識されているわけですね。 それに因んで、思い出すことがあります。ウォールの場なので、S園と表記しますが、昔そこに僕も訪問して、一人の園生がどこかに外出を希望して、当時のS園の規則
確かに、僕は子供会の様子は語れます。それは良かったと思います。でも、舞台である所の高島平団地の事については語れません。由来も知らないし。又、昔行った全生園、S園、墨田厚生会館と全て同じです。ふと気が付きましたが、それらは複数の法律が絡ん
昨日の補足を述べさせていただくと、確かに子供会は良かった。でも、何にしろ、一緒に何かをしていると視線もそこだけ向き、メンバーも固定化して、狭くなっちゃうからね。社会性が自動的に消える訳。特に、ITのなかった頃の社会活動にあった落とし穴だね。
書いて思い出したが、若い時に入った多くの会では「一緒に何かをやりたがる人たち」が必ずいて、役員格になり、無理な事ばかりして、結果的に会をつぶしていた。キリスト教関係にもそのような人たちがいたわけだし。 そのような人たちは、猛烈なさみし
秋分も終わり、本格的な秋。この時期、野球した思い出がある。外で。地面は砂利だから僕は降りられないが、車いすに座りながら、アンパイヤをさせてもらった。「ストライク!」、「ボール」と叫んだのを昨日のように覚えている。野球の審判は僕にとっては
多くの日本人の民主主義の誤解に関係があるように思われる。 戦後に限って見てみたが、国会で何かの法案が議決されると、国民も、国会議員たちも、賛否に関係なく、無関心になり、話題にもしなくなる。勿論、マスコミも同じである。例外があった事
成立しましたが、賛成派も、反対派も、中間派も、まだよく判らない人たちも、「これから」だと僕は言います。注目と論議を今後も続け、国民と国会議員たちは法案の運用に常に注目し、もし、悪い点が見つかれば、修正動議を議員さんたちは出してもらい、ま
新安保法案で日本がもめている事もあり、今日も忙しくフェイスブックを開いて、世間に働きかけたり、国会議員一人一人に私見を訴えていた。神様次第だが、御縁があり、結婚しても僕はこのまま社会活動を続けるだろう。パソコンとフェイスブックが大きく僕
日本の今期の国会は大詰めである。最大の課題の新安保法案についての国会内の激しいやり取りは勿論、一般国民の間でも賛否両派の激しい議論や反対行動も行なわれている。両派の人たちに一つ言おう。 仮に、その法案が議決されても、それを撤回する案件
あれから考えましたが、パラリンピック選手みたいに、車いすを自由自在に扱える人ならば、その人の象徴に車いすはなると思います。本当にそのような人たちの「足」以上のものですね。 でも、僕は手も不自由で、車いすが自由に扱えないからね。それに乗っ
あれから考えましたが、パラリンピック選手みたいに、車いすを自由自在に扱える人ならば、その人の象徴に車いすはなると思います。本当にそのような人たちの「足」以上のものですね。 でも、僕は手も不自由で、車いすが自由に扱えないからね。それに乗っ
(高島平団地の)子供会の会場は団地のホール。今はないらしいが。そこで僕は車いすから降りて、床に座ったり、ひざ立ち歩きで動いた。僕の動作を真似する子もいた。強い印象を与えたとか。また、多摩全生園でも、例の伊藤まつさんの部屋に上がらせても
僕は車いすは外出用で、家の中はひざ立ち歩きで移動し、姿勢は圧倒的に日本人的な座り方をしている。パソコンは机の上に置いてあるので、それを使う時や、食事の時はイスに座る。机を手の置台にして、独特のやり方で、自分で座る。度々投稿している写真か
今朝の東京に強い地震があり、僕も慌てて起きて、隣の部屋のテレビを付けた。震源は東京湾だったとか。 僕の家は和風作りで、ベッドはなく、畳の上に布団を敷いて寝ているわけである。でも、もしも、ベッドならば、寝ている時に地震が起きれば、慌てた
8月に大阪で起きた二人の中学生殺害事件は大変な事です。犯人には厳罰で処するしかありません。他に、中学生の夜間外出の件も問題。今は親も許し、世間も甘くなっているようですから。他の国は高校生までの夜間外出は許されないでしょうし。今回の事件は
子供会経験者はそうだろうが、僕も今子供会していたら?を時々思います。今はゲーム時代だから、昔とかなり子供の状況も変わっているのではないかと。それに熱中して、本を読まない・勉強しない・夜遅くまで起きているなどの弊害もあるし。とは言え、否定
子供会経験者はそうだろうが、僕も今子供会していたら?を時々思います。今はゲーム時代だから、昔とかなり子供の状況も変わっているのではないかと。それに熱中して、本を読まない・勉強しない・夜遅くまで起きているなどの弊害もあるし。とは言え、否定
難しい問題である。当然、世代によっても違う。終戦を経験した人たちは日本を小国だと思っているようである。僕などの親の世代ね。その話を親や先生から聞かされた僕の世代の者も同じ意識が受け継がれている。それ故、僕も子供の時から今日まで、そのよう
個人的な話ですが、僕は名古屋のういろうが好きです。近所のコンビニで昨日から12日まで売っています。それを食べたいので、夕べきたヘルパーさんに買ってきてもらい、その人がまた来る時に持ってきてもらう事を頼みました。今のういろうは真空パック
「サンプル化の時代」の補足である。読者の皆様もお気付きかと思うが、自分であれ、他人であれ、人をサンプル化した場合、人権は無視される。サンプル化がいけない理由もこの辺にありそうだ。 1970年ごろまで、全学連に限らず、日本の多くの人達は人権
僕は自己サンプル化はしません。昔、僕も無意識的にしていたかもしれせんが。 自己サンプル化は、他人をサンプル化するよりも始末に悪いですからね。単に「脳性まひを生きる」みたいな事は中身のない生き方だろうし、しまいには誰も相手にしなくなりま
6月に全学連の事を書きましたが、その後の時代の日本の事です。70年代から80年代。 人々の会話や新聞投書などを思い出してみると、1970年代初めから80年代に掛けて、「会社員として、税金制度に物申す」とか「主婦としての生き方」、「学生と
僕も他人を何かのサンプルとして見ないようにしたいものです。 単に「知りたい」では愛がなく、冷たい関係しかできません。特に、世田谷のかつての身障者たちはボランティアたちにそのように接しられ、結婚面などの差別も受けてきました。僕の結婚遅れ
9月の第一土曜日。昔なら、子供会再開の時だね。海や山に行き、日焼けした子供たちの姿が目に浮かぶと。 ところで、今日の僕のブログの通り、訪問者やボランティアは生活や労働していた訳ではないから、
僕は元々科学が好きで、子供向け働きかけも好きだから、その方面の文を脳裏に浮かび次第、書いている。また、それとはやや違うが、介護や年金など、身障者として生きていく事に必要な事を、特にフェイスブックには書き、政治家たちにもお読みいただいてい