長期間の0金利、去年の消費税引き上げ、コロナとトリプル・パンチならば、今の日本の経済恐慌も当然である。仮に、コロナがなくても、オリンピック後には同じ経済状況になったに間違いない。日本発の世界恐慌になったと。少子高齢化のため、日本とヨーロッパ
「所得の高い人や、消費税から税金を取って、景気対策や福祉に回す」というこれまでの経済構造はとっくの昔にダメになっている。安倍政権の前の民主党政治も「財源」で福祉などが挫折したし、小泉政権前の自民党政権も同様に冷気対策が挫折。すでに「高額所得
「所得の高い人や、消費税から税金を取って、景気対策や福祉に回す」というこれまでの経済構造はとっくの昔にダメになっている。安倍政権の前の民主党政治も「財源」で福祉などが挫折したし、小泉政権前の自民党政権も同様に冷気対策が挫折。すでに「高額所得
「致死性100%の社会的業病」の補足である。 2000年から6年までの日本の小泉改革。福祉関係も「官から民」への切り替えが目立った。ところが、その「民」とは会社とか資本主義の意味であった。「介護や福祉に資本主義はなじまない」と、各
それは資本主義である。「死」の定義にもよるが、人は何らかの収入によって生きているので、解雇され、賃金収入を絶たれた労働者は社会的な死を意味するわけである。19世紀ヨーロッパはその問題が深刻だったため、マルクスは気にして、「資本論」の中
その牧師の卵は悩みが多く、深かった。過去は戦争政策に教会が協力した問題。戦後も、在日韓国系など、教会内の差別問題。また、キリスト教が教派単位で対立し、差別し合っている問題。「この教派もそうだし、同じキリスト教なのに、信徒たちも差別し合う。あ
同級生に知的障碍を持つ人が一人。彼への態度が僕含め、おかしかった。バカにする感じで。差別だが、今思うと、利己心100%の世界が作っていたと。ハンセン氏病元患者がその中の精神障碍を持つ人を差別する件も。無意識的に誰でも差別するが、気が付い
80年代。教会関係で行った長野の知的障碍者施設の僕の書いた報告書。神学校を卒業したばかりの若い伝道師。当時の言葉で「精神薄弱という面ばかりが強調されている。そうではなく、『同じ人間』という視点が必要。神の下の同じ人間という意識が。また、
「私は偽善者ではないか」と徹底的に自分を疑う施設職員やボランティアの話を多く聞いています。手紙で述べてきた人もいます。そのような話には僕も返事をした事がありません。多くの人たちも返答不可能ですね。 やっとカラクリが判った所です。利己心10
イルカのイルちゃん・その1 文芸誌に投稿した創作童話 ここは日本の小笠原諸島の近くの海。一年中、あたたかい。魚やプランクトンもたくさん泳いでいます。空には鳥もたくさん飛んでいる。その海の中のお話をこれから楽しくしていきます。
「福祉の根本」に書いた、「通所や施設崩壊」対策を厚生労働省の役人たちが考えた形跡は日本経済新聞にも載っていない。そして、今回のコロナが感染した障碍者や高齢者の介護マニュアルも「作る動きが見られない」とあるヘルパーさんは言っていた。ひょっ
日本の福祉の根本的な欠陥も、多くの人たちの無関心だろう。昔の児童関係の「かぎっ子」、障碍者や高齢者への介護なども行政や一部の人たちに任せて、関わろうとしない多くの人たちの姿勢であり、まさに「利己心百%」の今までの人たちの心が作り出したもので
簡単である。一人一人の心の中心が「エゴ=自分さえ良ければ良い」という気持ちだったからである。説明も要らない。 1960年代の全学連とは違う感じで、僕の世代も共生を模索した。学生や社会人ボランティア、身障者、聴覚障碍者、精神障碍を持つX
1993年。かつては全生園の伊藤まつさんの所に一緒にも行った公立中学の一男性教師が手紙で「ぜひ、(身障を持つ)君に学校に来たり、生徒と交流して欲しい」と述べてきた。応じたが、理由が判らなかった。その先生は、「今の生徒は、頭が良い者ほど、
一人一人の新しい生き方も、コロナをきっかけとした社会構造激変が済むまでは、出ないだろう。生まれたての赤ちゃんは別にして、この社会構造の激変で、世界のすべての人たちの生活、生き方、価値観、発想が大きく変わったから。これは事実である。今まで生
皆様、人と接していない時はマスクは外して、時々深呼吸して下さい。 というのは、マスクつけると、どうしても呼吸が中途半端になり、肺や心臓などが弱くなったり、酸素の体内取り入れも不十分になり、体力や免疫力も低下し、多くの病気にかかりやすくなる
今日は終戦記念日ですが、明治時代(1868年以降)から、大日本帝国憲法の上に「連帯愛」があれば、日本は日清戦争以降の戦争はしなかったですよ。朝鮮半島植民地化もしなかった。それどころか、第一次世界大戦の調停役になり、ドイツへの大量の賠償金もな
「連帯愛」は介護関係含めて、まだ出ていません。介護や福祉などの世界にあるのは、介護者と被介護者の間の愛です。それも尊いですが、介護士同士や被介護者同士には及ばない。世間にはさらに及ばない狭いものです。狭い愛からは福祉社会作りはムリでしょ
今回、母のケガにより、僕の介護時間を一日30分増やしてもらう事になったが、法の規則では、まず、支援相談員の人に頼み、そこから介護会社に通知して、人を探して、増やすという方式になるらしいが、それでは時間がかかり過ぎて、どうしようもない事は
僕の母を献身的に世話された介護士さん。別に福祉について考えたり、議論するわけでもないのに。介護・保育と、脳・頭中心だと挫折や「同情しても始まらない」になるようだ。若い時にそのような人たちも見てきたからね。愛・慈悲、関わりは脳が主体なのか。今
戦前の日本の小作人の家に生まれた身障者、知的障碍者、精神障碍者、聴障者などはどんな生活をしていたのでしょうか。また、戦傷軍人は。今も地主・小作制がある国もありますし。 それから、うなぎ屋の家に生まれた脳性まひを持つ俳人の富田木歩の姉は、身
日本国内の事だが、プロテスタント関係と左翼関係の人たちの中にそのような例が多いようである。 内、プロテスタント系の人たちについては、「その内向き的性格、及び、教育勅語を通して天皇制社会や軍国主義に利用されてきた歴史的因縁」が理由らしい
浅読みだが、昨日の朝日か日経の新聞に、ある有識者の投稿として、「今年になり、コロナの影響で地方の葬式などが中止や簡素化になり、これまで続いてきた親族や友人の絆も薄れつつある」ことを嘆く記事があった。読んだ後、ふと思った。2000年以降
以下の童話だが、もし、オオカミが三人の子ブタの内、一人でも殺したり、傷付けたら、話の展開はどうなるかね。力的に反撃もできないし、遠い町に子ブタたちは逃げると思う。そして、オオカミは孤独になり、悲しい歌ばかり歌う。...。 例のX君は入る多く
「ブーフーウーとオオカミ」の写真。1960年代の日本で、NHKの子供向け番組にあったものです。僕もよく見ていた。ある人のウォールにオオカミの写真があったから、その連想で思い出せました。検索したら、絵が。「子供野球館」のものですが、一番鮮明だ
思い出せた事だが、昔の週刊誌は福祉情報も掲載されていた。新聞やテレビが報道しない事を。例えば、「(日本人で)日本語の話す事や読み書きが苦手な男の子がいた。親が試しに英語を習わせると、すらすら上達し、日本語ができないのに、英語ができようになっ
なるほどねえ。島田療育園の関係者全員も、恋愛や結婚の事を知らなかった。だから、身障園生たちの成人後の恋愛や結婚の対策も立てられなかった。そのように推理するとほぼ完全にその件は理解できるし、小説にも十分に盛り込める。その線で書く。1982年に
M氏や故H氏よりもはるかに身体障碍が重い星野富弘氏が結婚して、離婚もなく、夫婦共に幸福に暮らしている。そこから考えても、結婚への壁は障碍などではない事が判る。星野氏の絵を見ると、「和合」を元々体得していたように思われてならない。だから、絵
1977年8月。島田の身障園生M氏のお母様の話を聞く機会に恵まれ、お母様は色々とM氏について話してくれた。一番多い話は、M氏を甘やかした反省、次は氏の体や介護の事や、美濃部都政の評価だったが、一言「(私は)その息子の結婚を考えた事があ