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日記一覧

フェイスブック投稿から
2019年07月31日11:05

「(島田関係の小説は)これまで通り、職員中心で書く」と公に述べても、今は叩かれません。多くの身障の友人たちも僕の事を暖かく見守って下さっており、非常に感謝しています。でも、これが40年前の日本の首都圏なら、一身障者がそのように書けば、多くの

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それは僕と付き合った身障園生たちの名前である。僕と一番親しく、また、寝たきりの文士だった野口栄一君以外、小説名を付けて書く事を考えている。すでに実名を書いた所も、変えるだろう。  当初の予定では、次号以降は一園生の証言を基に、身障園生の

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  付け加えるが、放送大学で法律、経済、政治、心理学なども学び、島田療育園が歪んでいったいきさつもだんだん見えてきた。だから、小説化もできているわけである。

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  まず、最初に行った時は1977年5月。そこの一番障碍程度が重い人たちがいる所だった。当時は通称.「植物人間室」とボランティアの間で言われていた所である。脳の何かの理由で、心身の発達ができず、寝たきりで、言葉も話せない、呼び掛けの反応も難

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今、日本には台風が来ています。台風のエネルギーは熱帯地方で太陽から注がれる強い熱エネルギーが源。それが北上し、温帯地方の日本にも来て強風を吹かせるわけですね。 今の僕もそれと似ているかもしれません。「熱帯地方」を青春時代に置き換えると。青春

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フェイスブック投稿から
2019年07月26日16:50

封建制度の時代は結婚は親か、疑似親みたいな人が相手を定める「お見合い」なるものの結婚が主流だった。戦前生まれの僕などの父母たちの世代の日本人もそのような結婚していた。戦後は封建制の衰退で、お見合いも廃れたが、恋愛文化も定着せず、また、親子不

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フェイスブック投稿から
2019年07月26日14:27

僕の場合、島田療育園には自分の強い意志で行ったから、社会活動としては有効であり、今もそれを書く価値はあるわけです。交友とは異質の何かを求めて行きました。その事はやがてブログに書きます。 しかし、同時に行った多磨全生園の方は当時入っていた役員

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僕が島田療育園に行った1977年ごろの日本社会を思い出して気が付いた事です。日本社会全般に、疑似親子関係がありました。一番判りやすい例は政治関係だったかもしれません。当時の自民党と社会党は内部に派閥が分かれ、それぞれ派閥の長が親みたい

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今までは林田博士を中心に、職員たちの様子も描いてきました。1964年(昭和39年)まで書き進めてきました。1965年以降は、僕の知っている3人の元園児たちもそこに次々と入所するわけです。  当初の予定では3人の子供時代の園内の様子を詳し

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「障碍者関係の法律作りと整備が非常に遅れていた」、これも大事ですね。戦後の日本国憲法では「法の下の平等・基本的人権」などが書かれているのに、戦後の身障関係の法律は旧軍人の戦傷身障者のものばかりで、他の障碍者関係のものは非常に遅れていまし

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「神への愛」の難しさ
2019年07月23日14:28

 「子宮切除発言」の拙文の終わりの方の通り、相当なインテリに違いなかったのに、小林博士は新約聖書・イエスの第一の戒めである「神への愛」を忘れて、いきなり人への愛をして挫折したようである。詳しくは書かないが、教派の別なく、そのような日本人

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今日の東京は曇り。梅雨はまだ開けません。今日はこのようなもの。昔の僕は怒りましたが、今は小林博士以下が悲しく感じられて仕方ありません。相当なインテリだった小林博士でも聖書を誤解し、罪な発言したり、正しく島田を導けなかった。何だろうと思います

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子宮切除発言の正体
2019年07月22日12:52

島田療育園。これも以前、断片的に書いた事ですね。1982年ごろ、当時の身障ミニコミ紙が、身障団体機関紙の転用という形で伝えたものです。「女子園生は子供を産む事もなく、生理の後始末は職員たちの手を煩わせるだけだから、切り取っても構わない」

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日本の今回の参議院選挙はこの通り。僕の予想通りになりました。自民党は議席減らしたから勝利とも言えないし、野党側も与党を追い詰める事が出来なったから勝利でもない。勝者なき結果でしょう。次の衆議院選挙が政治的意味が大きいと見る事ができます。

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今の島田療育園
2019年07月20日15:02

「S園の正体」の大事な補足ですが、インターネットで検索すれば判る通り、地域に根を下ろした貢献施設になっています。養護学校も併用されたとか。「お仕置き」みたいな事もありません。  今は悪い面はなく、おかしく思う人もいないので、悪く思わない

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S園の正体
2019年07月20日14:28

  島田療育園である。1961年(昭和36年)設立。初代園長は、小林提樹医学博士。小説では「林田」としてある。  ねむの木学園よりも少し早くに作られたそうだ。一応は日本初の障碍児施設になっているが、あるいはそれよりも非常に早くに作られ、歴史

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実録小説・第12章の説明
2019年07月20日11:47

お読みになっての通りです。1965年は前進した年であったことは前から僕もよく知っていましたし、暮れの紅白歌合戦に出た事も昔としては有名な事でした。「秋田から多くの若者が職員になった」のは事実です。インターネットで色々調べて、参考にもして

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京都アニメーションで放火事件があり、焼死者多数。ご冥福をお祈りします。  しかし、仮にそこに恨みがあるにしろ、何故、多数虐殺しなければならなかったのでしょうか? しかも、自分も焼死しようとしたらしいですし。ゴミを焼くような感覚で、自分含む、

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  昭和40年に入るや、否や、林田博士は秋田市の中学・高校に足をたびたび運んだ。冬の秋田は大体雪で、寒いが、林田は熱気にあふれていた。  中学や高校の卒業予定者である3年生に、東京郊外にあるシマハタ療育園の事をまず説明をして、建物と園児や職員

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我々歴代東京VYSの人たちは、その基本理念にある「cominity organizer」という英語を根本的に誤訳・誤解していたようである。我々は先代からその意味は「活動場で見た事を世間に伝える人」だと解釈してきた。だから、高島平団地を振り出しに

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あれからいくつか、例が思い付いたので書いていきたい。  僕が知る限り、一番恐ろしい例はヒットラーのユダヤ人関係の知識かもしれない。僕が見た限りでは、ヒットラーの書いたものや演説自体も断片的な話のつなぎ合わせに感じられて仕方ない。更に、「

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予告
2019年07月15日11:37

  実録小説「シマハタの光と陰」の次章の公開の後、S園の本当の名前を公開します。  そこは40年くらい前は園生への人権侵害がありましたし、医療体制も非常に問題でした。それゆえ、以前は断片的に印象に残っているマイナスの面ばかり述べていました。

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七夕について再び
2019年07月13日11:59

先ほど、ラジオのNHK第二放送の「漢詩を読む(佐藤正光講師)」の再放送を聞いた。七夕に因んだ中国古典詩が紹介されていた。それゆえ、再び七夕の事を書きたくなった。  まず、七夕の本来の時期は立秋前後であり、東アジア古来の暦では、秋の初めで

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振り返ると、70年代後半の僕も、当時の首都圏で流行っていた「健全者と身障者の対立構造」の考え方をしていたんだ。社会はその構造だけだと思っていた。そのような考え方の身障者は当時は多かったね。その後、放送大学で様々な事を学び、初めて社会を知

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あれから思い出した事である。高校3年=1973年12月。当時の世界はアラブの多くの産油国の対イスラエル関係の石油戦略に注目が集まっていたが、当時の僕は社会科の期末試験に「産油国も工業化して、石油を自前で大量消費するようになると思われる」

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  根の一つは、昔の福祉会や身障団体の構成員のほとんどがそれまでの社会経験が学校生活に限られていた事もあるかもしれない。僕は教育関係者でもないから大した事は言えないし、検証は不可能だろうが。  高校までの各学校は授業時間は40分から50分

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七夕様
2019年07月06日16:55

明日は東アジア諸国の誇るべき文化の一つの七夕様の日である。元々は中国の伝説であり、天に住む男女が愛し合い、夫婦になったが、その後は遊んでばかりいたため、天帝は怒り、二人を天の川の両端に引き裂いた。但し、年に一度、七夕の日に黄瀬ができる

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旧友たちにあてたもの
2019年07月06日15:23

1977年。医者でもない僕がハンセン氏病の多磨全生園に行ったいきさつを話しましょう。当時の僕がいたVYSで。会員の一女性がそれを紹介した所、VYSで会合の話し合いだけで行ったり、交流合宿をしたり、ハンセン氏病を世間に啓蒙する事を決定。何もそ

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各政党の政策を新聞やテレビで見ましたが、脱資本主義・低成長永続時代の発想に各政党はなっているのか、疑問に感じます。その下で「共助の福祉や教育」もしていかなければならないのに。また、水野和夫氏など、経済学者の一部からも「資本主義の終焉」という

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会合の場の決定の危うさ
2019年07月04日11:57

今日の話は僕の青春時代の40年前前後。当時の東京では、多くの福祉団体や身障団体ができて、僕も複数の会に入った。それらの会ではよく会合をしていた。いわゆる話し合いである。大体は役員がテーマを決めたが、中には会員の要望でテーマが決まる事もあ

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