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日記一覧

 29日、池上彰がベトナム戦争(1965年から75年4月)について解説した番組があり、録画して僕も見ました。開始された時は僕は小学4年生。その時から中学と、学校で先生たちが詳しく教えてくれた事もあり、池上氏の解説された事は大体僕は知っていま

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日本で名付けられた所の、今回の台風12号は「日本列島を東から西へと駆け抜けた異例の台風」と言われている。しかし、考えてみれば、台風観測自体が百年かそこらではないか。それよりも何億年も前から台風なるものは地球に発生してきた。地球本位でみれば、

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  主人公の遠藤氏の今の生活の様子がさりげなく描かれていて、良かったと思いました。  僕が一番印象的に感じたのは、大学時代の社会活動や交友の延長が今の自立生活につながっている点でした。道は違うかもしれませんが、僕の従兄弟の川本兼兄が同様に学

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旧友たちへのメールから
2018年07月28日10:50

各サイトで紹介し、フェイスブックを使って与野党の国会議員たちにもメールで知らせました。 でも、僕の今回する事は以上止まりで良いと思いました。番組を見た後もその内容をブログには書かないでしょう。その番組の主人公は僕と同じ脳性まひを持つ人で、

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テレビ番組の紹介
2018年07月28日09:21

  番組の紹介。「えんとこの歌・寝たきりの歌人・遠藤滋」ETV特集、28日(土)午後11から0時。脳性まひなどのため、寝たきりながら、自宅でヘルパーとサポーターの介護で生活されている方の生活ドキュメントです。見るか、録画して下さい。

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一同級生主婦の怒り
2018年07月27日12:49

  今は行われていないが、90年代は毎年光明養護学校のクラス会が行われ、僕も参加していました。同級生たちの持つ障害も、生き方なども様々ですが、幹事格でもある一主婦はリウマチ障碍を持っており、足が曲がらないため、中学から光明養護学校に転校した

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  根は勿論、成立や展開の年代も違うから。  調べましたが、らい予防法が成立したのは1953年8月15日でした。その少し前からの社会気風が色濃く反映されています。朝鮮戦争特需はあったとは言え、国民は貧しく、マイホームや経済成長の観念もまだな

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  もう40年前にもなるが、当時所属していた福祉団体の一員として行ったある重度心身障碍児施設の問題を設立前の事から実録小説として書き始めて、少しずつアメーバ、フェイスブック、ミクシーなどの各サイトに載せ始めている。題は「シマハタの光と陰」で

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イルカを思う
2018年07月23日14:06

日本では暑さが続いている事もあり、今日は気楽な事を書きたいです。  イルカの脳は人間と大して変わらないくらい、大きいわけです。細かく見れば人間とは脳の構造は違うそうですが、イルカ同士で超音波を使って意思疎通を図っている事が確認され、また

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  園生たちには友人・仲間意識が本当は強烈にあったから、今も書けると。脳性まひ者間の仲間意識もあるかもしれないが、それよりも更に強烈な友情が。卒園後の野口栄一君との文通はそう考えないと説明が付かないと。  でも、全生園には友人・仲間と思う人

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   1960年の内に、島畑氏から譲り受けた多摩市の小山の山腹の一角に、施設となる鉄筋コンクリート造りの建物が建ち始めた。林田博士は希望に胸を含まらしつつも多忙になっていった。施設の看護人員の募集と、金策に。  「このまま建物ができて、障碍

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  二つあります。一つは光明養護学校。そこでは、親たちは我が子だけでなく、クラスの子供たち全員に関わり合ったから。もう一つは、高島平子供会経験。二つが重なればそうなると。  それにしても、戦後のマイホーム生活もすでに終末ですね。それは戦後の

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フェイスブック投稿文
2018年07月20日17:03

  一友人のウォールに出ていた事ですか、埼玉県所沢で小中学校のクーラー設置の是非の住民投票が行われ、賛成が5万票余り、反対が3万票余りで、OKになりました。でも、投票率が31%。そこに僕はおかしさを感じたわけです。明らかに無関心ですね。  

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子供会を思い出すと、サポーターたちには何気なく「仲良く」という言葉が飛び交った。その後、キリスト教関係の会合に僕は出席する事も多くなった。そこでルター派の人たちが「仲良しは上べだけの状態。本当は冷たいものだし、実際、人は仲良くできないも

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  非常に長く続いた封建制社会のせいだろう。何も日本だけではない。アフリカと中南米諸国は「植民地化」のせいかもしれないが、それ以外の国々についてはそう言えると見ている。中には「明治以来の文明化や資本主義発達のせい」と言う人たちの声も耳にする

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 歴史的に見ても、人格が公に述べられたのは明治時代に作られた大日本帝国憲法の時であり、さらに強力に保証されたのは日本国憲法の時である。江戸時代までは封建制度で人格は認められず、明治になり、議論されるようになった。特に、大正デモクラシーの時

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 思えば、僕が求め続けてきている愛もこのようなものである。また、それは何も男女に限らない。日本では昔から「男心に男が惚れて」と親友間の心情も歌われてきているし。僕も二回経験がある。一つ目は、言うまでもなく、S園にいた寝たきりの文士の野口栄一

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  確かに、子供と言おうか、今の中学以下の年齢から療養所に入園した元患者たちは社会経験もないから、「差別」という言葉も判らんよな。社会の中で初めて判る観念だから。何も例のまつさんだけでもない。全体に占める割合などは我々には判らないが、そのよ

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「緑の丘の赤い屋根。とんがり帽子の時計台。鐘がなります、キンコンカン...」。戦災孤児のドラマの歌だね。我々のした頃の高島平団地の子供会は、確か皆両親がそろった例ばかりだった。でも、当時も交通遺児はたくさんいたし、もし、生まれるのが早

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旧友向け・集落の問題
2018年07月11日11:00

 何故、全生園は集落に見えたか。元患者構成員のほとんどは「戦前生まれ」、それも地方出身だったからである。集落は内向きであるのが特徴。大都市以外は1945年までの日本もそれが当たり前だった。極めて内向きな生活をしていたわけである。その中に、地

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大部分の人が理性的に物事を考えて動く社会の中ならば、例のX君のケアも皆で十分できるし、又、X君自身も皆を真似て考える格好をしていくようになり、大脳の前頭葉にも血流が多くなり、脳障害も改善するのではないか。  でも、我々も感情的になりがち

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  昭和に入り(1926年12月25日以降)、日本の世論、マスコミ、軍部は次第に感情的になった。もっとも、1923年9月の関東大震災の時の朝鮮人大量虐殺事件の時にはその兆候がかなりあったと思われるが。そして、満州事変の時に世界各国から日本軍

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  昔の旅は、自分の住んでいる町とは違う集落に行き、そこで出会った人に泊めてもらったり、親切にしてもらったりした。旅人も見知らぬ人に声を掛けたり、高齢者を自分の祖父母みたいに優しくもした。戦前まではあった。戦後は廃れたが、例の寅さんの映画が

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  今日書いたものはS園やハンセン氏病問題にも深く絡みます。というのも、まず、感情的な性格の職員ほど、園生を虐待したからです。他の施設も同様。それから、戦前、やはり、感情的な人ほど、政府の宣伝を信用し、感染をただ恐れ、隔離政策に協力したわけ

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 戦前の日本人の多くが唱えた愛国心なるものも以上でした。ならば、客観性を欠き、他の国や民族の事も考えられなくなり、排他的にもなったわけです。日本国内にもアイヌや琉球、韓国系や中国系が昔からいたのに。更に、日本民族自体も元々は東アジアの多くの

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  今の資本主義は「お金資本主義」だから、おかしいんだよ。公害や金権政治、果てはオウム真理教みたいな奴らも出てきたわけだと。そのようなおかしさはすでに多くの人たちが百年前の時点で気が付いたからね。  その文明に対して異議を唱え、S園では「愛

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空飛ぶ人
2018年07月07日14:18

 21世紀に入ってから、そのようなものの目撃者が世界各地に増えているという。日本にも目撃例が出てきたそうで、先日はミステリー系のテレビ番組でも紹介されていた。確かに、ドラエモンの機械ではないし、今の地球の科学では、人がそのまま空を飛ぶ機械は

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  次の章は施設着工から開園までの期間です。小林博士が「金策と人探しに苦労した」様子は誰でも判ると思います。その姿を描く事は当時から始まったお金万能社会への痛烈な皮肉にもなりますし。書いて正解だと。  また、多忙ゆえ、医学勉強する時間がなく

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今日のブログは教育から入り、後半は障碍者問題にも触れました。理由はよく判りませんが、一時行ったキリスト教関係で共感され、祭り上げられそうになった事もあったので。障碍者などを下にみるいわゆる「差別」はいけませんが、共感され、健全者などから上

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  新憲法と、新教育基本法が作られ、法と教育は急激に終戦後に変わった。少し前に見た池上彰の戦後史解説番組によると、終戦後の10年くらいは平和と民主主義を求める理想的な教育がなされたそうだ。でも、池上彰は「1957年、当時あったソ連・ロシアが

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