「和歌山殺人事件」の文には、誤字があり、紀藤➔須藤と、各サイトやコミュニティのそれを訂正。御指摘、感謝します。 訂正しながら、殺された野崎氏と映画に出てきた鹿野氏との共通点と違う点を考えていました。捜査を待ちたいですが、野崎は自分の
1978年の僕などは島田関係のトラブルに巻き込まれて大変だった。確かに、当時の島田は麻薬投与など、おかしかった。 でも、僕が一番怒ったのは、vys会員たちからの「恋愛も友情や仲良し関係の延長。友人になれば、恋人にもなれる」と言う助言であ
例の東大法学部Aの1979年の発言である。 「資本主義も、共産主義も変わりがない。根の大きな一つは結婚制度である。それは人々を分断させ、資本家と権力者の都合の良い社会に仕立て上げている。中国の毛沢東体制も同じである」。 内、「共産主
「和歌山県のドン・ファン」の野崎氏を殺した容疑で、須藤という女が逮捕。警察もよく逮捕できたと思います。詳細はこれからわかりますが、やはり、紀藤はお金を求めて野崎氏に近付き、野崎氏も顔の美しさと身体を求めて須藤に近付いたようですね。欲とエゴの
島田の身障園生のM氏。一女性職員に結婚を求めて、失恋し、深い孤独に。本人もだろうが、僕も新約聖書にある「求めよ、さらば与えられん」の通りに、上べはならなかったため、40年以上、変に思ってきたし、僕は氏に同情もしてきた。でも、以下の通りだ
リモート恋愛=メールや写真を通しての愛のやり取り。文通恋愛の延長。 リモート結婚=常に互いの姿をITで見合う関係。一緒にいるのと同じ効果があるはず。これからは激増すると思う。
自分含め、当時の身障者たちの気持ちを思い出すと、「私は結婚できない=愛を得られないのではないか」という深刻な悩みが各自にあり、解決策も浮かばず、寂しい想いのため、精神が全員不安定になっていた。寛容さも消えて。そこにわずかな意見や見解の相
その他、「戸籍を同じくする」。戦後の法律でも、どちらかが相手の親戚になることを意味している。特に女性が圧倒的に多い。別姓運動している女性たちの気持ちもよく判る。また、ある年齢以上になり、子供を産む事もない夫婦には無意味でもある。大家族制度の
医学的な事は述べませんが、ウィルスの事が未解明の1917年のスペイン風邪、1968年の香港カゼの時も世界中がこんなには騒がなかったし、ロックダウンや居酒屋規制もなかった。措置を非難する人たちの気持ちもわかる気がします。 今はすでに資本主義
身障会のイチゴ会には多くの身障女性もいる。当然、映画出演の鹿野氏とも触れ合っていたのだから、その中から恋人が出てもおかしくないが、相手は知り合って間もないサポーター。「世話を良くしてくれるから」の理由で。人によっては、介護のための結婚だと見
1970年代の日本は社会の歪みを教育と拝金主義に求める意見が多かったですね。受験戦争や汚職が深刻だったから。 でも、以上も大切ですが、僕は原因は別にある気がしていたし、例の東大法学部Aは「結婚制度」と断言もしていた。Aの言う事は当時の僕は
近代以降のヨーロッパ、明治以降の日本と、結婚制度が法律的にも整ってから、子供たちはすでに大人を見習って、結婚を意識するようである。又は、無意識的にも結婚を想う。小学1年から実は心の中で男女共、異性友人を「お嫁さんにしたい・お婿さんに」と
全生園、島田療育園、高島平団地と深い問題があった事は見えたが、当事者に聞いても原因は聞けなかった。当然だと。当事者たちもその原因については「判らない」わけだから。もし、判っていたら解決行動や社会変革行動をするわけだが。僕などの訪問者のほとん
夫婦だけでなく、多くの人たちを家に呼ぶなどして、二人だけに、又は、子供だけにこもらない開けた結婚生活。全学連世代あたりから始まって、僕の世代にもかなり見られた結婚観である。僕も描いていたし、同世代や先輩の身障運動家、映画に出てきた鹿野氏
恋愛に限らず、愛の根の一つに相互の緊張感があるはずです。緊張感があるからこそ、相手の気持ちが気になり、察し合い、魅力も見えて好きになる。男同士、女同士でもあるわけですが、特に身体含め、何かと違う男女は向き合うと非常に緊張し合い、強く惹かれ合
島田療育園に限らず、過去のものを再現して未来に伝える事は不可能ではないか。実例がある。80年代に島田の事を盛んに書いた身障ミニコミ誌である。会長自らが月に一度、広い紙面に2ページびっしり書き込んだ。原稿用紙は1枚400字。字数を数え
実録小説で、恐らくはこの夏に書く一園生の悲恋のモデルの男性。「恋愛=結婚」と短絡視していた事と、愛は他人から与えられるものであると誤解していた点が彼を苦しめた根本だね。そこに身体障碍と当時の島田の状況が苦しみを倍加させたが。彼はクリスチャ
当時入っていた一親睦会の旧友、F氏のベオグラード旅行の報告会の話である。ベオグラードとは、今はセルビア、当時はユーゴスラビア連邦共和国の首都である。ユーゴスラビアはチトー大統領の下の社会主義の国であったが、旧ソ連と仲が悪かったため、早く
障碍者の恋愛・結婚差別というかねてからの問題意識もこれから書けるわけだから、書いて良かったとまず思った。その前触れとして、まずその兄弟姉妹のその件について書いてみたわけである。また、職員の結婚難の問題も、20世紀の感覚で書き始めている。
御覧の通りのものである。小林博士の「介護負担がなくなり、園児たちの兄弟姉妹の結婚が増えた」の証言を基にかいた章である。何も身障室に限らず、知的障碍室でも、重複障碍室でもかなり見られた結婚例である。最初は二人を同年齢にして書いたが、障碍児
障碍児者の兄弟姉妹は親と共にその世話をする事が多いため、適齢期になっても結婚縁がない事が多い。一生結婚できない例も戦前からかなりある。1970年前後の若者の一番の関心ごとも結婚関係だったため、非常に深刻だった。シマハタに入る前の園児の兄
先日、文芸誌文が書けなくなった事を書いたが、その前にはブログ文の限界も5年くらい前に感じていた。だから、文芸誌も始めたわけだが。更に過去。80年代には教会関係でミニコミ活動を経験したし、潰れた福祉会の通信誌作りもしたが、同じだった。当
エロス=男女の気の合体のエネルギーは本当は壮絶です。仲良しの延長では恋愛はありません。一方、友情は理性が基盤。これも価値が高い。 しかし、VYSは伝統的にどちらも「仲良しの延長」でくくった。そこが根本的に大間違い。エロスも、友情も出ないか
佐久のみなさんへ. 2021年4月 4月になりました。気候が暑くなっているため、今は、桜は東京では3月に咲きますが、昔は4月に咲きました。桜で思い出すところがあります。東京の地図を見て下さい。東村山市に「多磨全生園」
確かに、この所、ブログやSNS関係にはその転用は投稿していない。書けないか、書いても皆さまにお見せできるような内容でもないからである。書くことが難しくなったきっかけは、昨春、コロナで色々考え込んだ事だが、真の理由はもっと深かった。一つは
1979年、ある福祉会で結婚制度に疑問意見を述べた人が出たが、雰囲気はたちまちに騒然となり、彼は影で叩かれたらしい。しかし、今の僕は複数のSNSやブログで当時の彼と同じような事を言っているのに、全然叩かれない。無論、離婚や非婚が激増し
天気図の面白さ. ☂ ☃ 2021年4月 この手紙がつくころは、佐久は桜(さくら)が咲いていると思います。春ですね。今日は春にぴったりのお話をしたいと思います。 みなさんもテレビの天気よほうや新聞で天気図をいつも見ていますね
寝たきりの文士である野口栄一君と親友になれるなど、良かった、楽しかった面はあるが、猛烈なしんどさも僕も感じていた。後に行った身障ミニコミの人たちはもっとしんどかったし、ボランティアの中にも同様の人たちはいた。しんどさの正体は以下であった
岸見一郎著「これからの哲学入門」には、離婚などの理由として、「愛する努力をしなくなるから」とあるが、それだけだろうか。愛の努力をしながらもケンカや離婚になった人達は世界的に多い。岸見一郎は結婚制度の問題は述べていない。 一方、新約聖書