小中学生のみなさんへ. 長い冬も終わり、そちらでも花が咲く春になりましたね。リンゴやナシなど、果物の花もたくさん咲いている事でしょう。白く、きれいな花ですね。ぼくもよく知っていますよ。 花と言えば、ぼくはその大事な思い出があります。テレビ
地震と我々 皆さん、地震はこわいですね。ぼくも地震は大きらいです。台風とはちがい、急に来て、下からゆれるからこわいわけですね。日本でも「地震、かみなり、火事・おやじ」と言われてきたなど、一ばんこわいものとされてきました。 地震の原因はずっ
S園では病棟レベルでは女性職員、つまり、女性たちの力が強く、偏っていた。園児・園生の自立が阻害された要因の一つにもなっていたと。それは一昔前の日本で問題になった、教育ママの問題にも通じるかもしれませんが、教育関係には詳しくない僕が語れる
例の自己陶酔だけでも女性はないでしょう。女性特有の細やかさ、優しさもあるわけですね。マザー・テレサが典型例かも知れません。ナイチン・ゲールとか。 一方、男も戦争みたいな事だけでもないでしょう。勇ましさや論理性もある。 女だけが付きあ
基本的には「行く事に意義がある」。また、当時の日本の首都圏では「身障者としての行動」が福祉関係では流行語みたいになっていたので、「身障者として」が前置きに入ったわけですが、それは付け足しに過ぎませんね。「オリンピックは参加する事に意義
僕に横柄な姿勢だったので、それは身障者差別だと今まで思い続けてきた。確かに、そのような姿勢ならば、愛はできないわけだし。 でも、そうでもなかったようだ。もっと根が深い問題だった。ただし、僕が身障者差別だと思ったのもムリないと。見分けは
根が深い問題があったようです。女性ボランティアたちは、S園女子職員の感化を受けてそうなりました。女子職員たちの問題になってきますね。彼女たちは一様に管理者たちを強く憎んでいました。管理者は男だったから、男性全般に憎しみを向けるようになっ
女性には「自己陶酔」というネガティブな面があるのならば、男にはもっと悪い面があります。歴史が証明していますね。戦争に通じるものを作り出すという。 この二つは原罪と呼ぶものかは僕には判りませんが、ネガティブなものを持つ者同士ならば、互い
「私は、園児たちの姿に自分の心を投影して、それを楽しみに生きています。だから、(職員の仕事が)続けられるのです」。 1978年にS園のベテランの女子職員が語った事である。「乙武氏関係のコメント」の「自己投影」の言葉を見て、鮮烈に思
女の人は自己投影などを何故するのか?などと聞いてみました。 「(答える事は難しいが)強いて言うならば、(女性特有の)自己防衛的な気持ちがそうさせる。自己投影や自己陶酔しても別に楽しくはない。(自然にそうしちゃう?)。そうした後、良い事
「「乙武氏への女性サポーター」の書き直し」にも書いたように、男女の持つ感性や思考は根本的に違うようです。それゆえ、例えば、男が男の感覚で女の人の気持ちを考えて、あてはめて、「こうしろ」と言ったり、逆に、女性が男性をそうすることのないように
先日、一既婚女性からその件の貴重なコメントを頂いた。まずは、それに深く感謝する。男の僕には書き直しも難しい事だが、以下、述べていきたい。 そのコメントには、要約すれば、「(女性に普遍的に見られる心理として)自分の気持ちをサポート相手
NHK教育テレビ・今日午後11時から0時 「ハンセン病の隔離政策に抵抗した医師の記録」。 ぜひご覧下さい。 再放送は4月30日午前0時(=29日深夜24時)からです。 知られていませんが、そのような良心的な医者もいたわけで
そうしていけば、例えば、身体障碍の壁などは乗り越えられます。厳しくても、天国のような愛もできます。 ふと気が付いたので、追伸を書きました。
愛を深めたり、結婚するには、まず、二人が心を合わせること、その他の人たちとも心を合わせることが必要である。でも、僕の見聞きした範囲内でも、それに気が付かない人が多い。そのような人は感情だけで愛を作ったり、結婚できると思っているとしか考え
先日、介護事務所から電話があり、「交通事故の影響で、ヘルパーさんの到着は30分遅れます」とありました。でも、急いで来てくれて、10分遅れただけでした。僕は言語障碍も持っているので、ペンで「いそいで、きてくれて、ありがとう(急いで来てくれ
「○○は身障者」とその面だけにこだわると、個性も、性の面も目に入らなくなるわけである。そのような人たちは結果的に異性の身障者を結婚対象とは見れなくなる。 乙武氏に甘い事ばかり言う女性たちは「乙武氏の妻だったら、私はどう感じるか」という
まず、女心の事から話そう。女性というものは夫や恋人の浮気、不倫を非常に嫌う。自分のパートナーだけでなく、他人のそのような事も。それゆえ、男性の政治家の不倫に対しても多くの女性たちは非常に厳しい態度で臨む。そのような心理は多くの小説に描か
勿論、内容は一人一人違うが、中には肯定的な意見も多い。氏の浮気の事を批判した上での励ましならば構わないと僕も思う。でも、浮気批判をしないで、それを容認する事は何なのか。大事な問題が見えたので、ミクシー向けに書こう。 本能的に女性は夫や
結論から書くと、避けられなかった。行った77年当時はS園内部で意思疎通が難しくなり、内部対立も深刻だったから。それでは、外部者との意思疎通もできるはずもない。 職員同士、園生同士、園当局と職員などの対立や意思疎通不足が深刻だったから。
従兄弟の川本兼氏も諸々の著書で書いたが、1960年から70年ごろの首都圏では若者を中心に地域や立場などの「垣根を越えた付き合い」が流行り、人格・人権、政治・経済・教育・福祉について徹底的に討論したという。不特定的に集まって。各自が自由
そう言えば、北欧諸国では、性も、福祉も、民主政治なども「人格の尊重」という大きな目的の下、 行なわれた。戦後日本では、性も、経済成長もそれ自体が自己目的化して追求された。大違いであろう。 昔の僕が所属した複数の福祉会も、福祉につい
昨日の続きだが、要するに戦後日本では、性の解放は比較的早くに進んだが、人格の解放は非常に遅れた。そのアンバランス状態が時を経るに従って、現れてきていると思われる。 1955年ごろには石原慎太郎氏がすでに「太陽の季節」という、当時の若者
他人事だが、そのような人たちは本当に肉体的な感受性で相手を選び合うのかね。また、1970年ごろはそのような選び合いが全盛だったわけだ。当時の週刊誌にも書いてあったのを記憶しているし。僕は中学だったが、学校に週刊誌を先生に見つからないよう
そのようなものは日本でも昔からあったが、昔は陰に隠されていた。公になり、国会議員までも「女の子はそのような職に就けば良い」と言い出す人も現れたのは今になってである。その発言は議員としての品格に欠けており、有権者や外国に対して非常に恥ずか
交友、男女交際、ヘルパーさんとの関係など、全ての面で強力に渡り合えるようになると。将棋で言えば、自軍の駒に、チェスの最強の駒である、飛車と角を併せ持ったクィーンの駒が加わったようなものだから。 以上並べた人間関係は根本は共通したものが
人格という言葉を仮に知らない人たちでも、「自分の心を認められたい」という願望はある。食欲をさえも上回る最大の欲求かもしれない。 恐らく、それで特に青年期は異性パートナーを求めるのだろう。それで期待し合い、感情的にもなり、肉体結合もして
1945年までは本当に「戦争の歴史」だったね。日本語では単数・複数形の言い方がはっきりしないが、「戦争たち」と言おうか。 第二次世界大戦の前は、第一次世界大戦。19世紀は国と国との多くの戦争。市民戦争も多発した。それ以前はキリスト教同
江戸時代の日本は封建社会で、身分制度に分かれていて、人格や人権どころではない状態だったから、多くの志士たちが出て、新しい日本を作ろうとしたわけですが。でも、当時のヨーロッパは日本以上に人権が認められなかったようです。その証拠の一つが18
自他の人格を尊重した付き合いをしていくんだね。そうすれば、自分がよくなり、相手も心が生き、それが広まれば、日本も変わっていくから。それで良い。