1970年代の東京の諸々の福祉団体や身障団体の見聞である。 もちろん、一つ一つ違ったが、会合やコンパでも、一人一人違った事を抽象的に言うだけだった。他人に理解させる努力はもちろん、メンバーの声を聞く努力にも欠けていた。と言うより、
以前も少し話したが、僕がそこを訪れる数年前、20代前半だった、身障園生M氏が一人の女性職員に恋愛感情を抱き、そのままラヴ・レター書いたが、女性側が受け止め切れず、そのまま退職し、双方が非常に傷ついた出来事があった。一つには、そのような
まず、漢字(中国文字)の「愛」をじっくり見て下さい。「心を受ける」と書きますね。相手の心を受けるという意味です。でも、黙っていてはそのような事はできません。一緒に何をしてもできない。相手との意思疎通が先にあって、愛の状態が生まれるわけで
今の社会になった大きな要因は、1990年から始まった経済世界グローバル化であり、過度な資本主義社会であるアメリカ文明である。今の日本の安倍政権や、カジノ法もそのあだ花にしか過ぎない。 従って、元の問題であるグローバル化とアメリカ文明を深く問
それは友情・友人である。地味で誰も気が付かないが。90年以降はまず会社からそうなったようである。それまでの日本の会社は男女差別は強かったが、大らかで助け合い気風もどこでもあった。会社員だった父も証言している。会社勤めの経験のない人たちも
結婚が今の日本で特に減っている理由の一つは、こんな事もあるかもしれないな。それ以前に「友人」が非常に減っている。特に、会社関係で友人が今は作れなくなっているでしょ。90年以降のグローバル化の影響で、社内の人間関係がギスギスして。地域社会衰退
表題通りである。日本・アメリカと、それで特に子供が不幸になる事が後を絶たない。でも、率は低くても、幸福になる例もある。幸福になる例は全て、再婚相手と子供との意思疎通がうまくいっている例ばかりなのだ。愛は意思疎通と言わざるを得ない。これが
正義感や同情などの「感情」で介護職をする人たちは今でも失敗や離職が多い。又、理性にこだわる例も。成程ねえ。感情も、理性も当人だけにとどまり、人をつながないんだよね。かと言って、「愛」は抽象的な観念でどうにでも取れる。愛も旗印にはできないわけ
アメーバなどでは書けない問題である。 1970年代後半の大学K。僕も入っていた福祉会VYSの役員でもあるN子さん。教員志望。小さい時から学校関係しか社会を知らない人。薬大生などの同世代の女性たちの状況も判らない。僕も出会った時にいき
70年代後半。僕も入っていたVYS。「社会変革」を唱える者も出たが、会員たちは意思疎通が苦手な者ばかりで、社会変革どころか、ボランティアも、交友や恋愛もできず、挫折していった。それから数年後、例のキリスト教関係で部落関係から社会変革を志
UFO目撃記録・文芸誌投稿文 年末は誰もが慌しいので、気楽な話を書こう。若い時に僕は何度もUFOを目撃している。 最初は夢の中に出てきた。1975年3月。その後の5月、父
教育勅語が作られた時の日本は、恋愛は一般的ではなかったが、教育勅語風に当てはめると「恋人、仲睦まじく」になるだろうか。でも、その過程である絶え間ない意思疎通を省いて、いきなりそうする事は不可能である。 教育勅語が廃止された戦後は恋
「この教団に入り、生まれて初めて友人ができた」と手紙に書いてあった旧友の言葉を昨日のブログを書いてから思い出した。プライバシーに触れる事は書かないが、ずっと学校関係にいた。大学の時に僕もいた福祉会にも少しだけ顔を出したが、そこでも友人を
フェイスブックで付き合っている一友人が近ごろ、教育勅語に関心を持ち、いろいろと書いてあったので、僕もそれで調べて、客観的に考えてみた。「夫婦相和し」とか友人間の友愛を説くなど、色々書いてある。インターネットには現代日本語訳も出ているか
40年ぶりとは言え、薬科大学を卒業された一女性の状況と悲鳴が書けて良かったです。これで、その人と友人的なものが一つだけできたと思います。友人になる事=関わり合う事だと今の僕は解釈しているから。例えば、お酒を一緒に飲み、雑談しても、「上
アメリカでは黒人やアジア系、原住民、ヨーロッパでは戦争難民や旧植民地の労働力使用が福祉の始まりにあった事は前に述べたが、日本ではその役割は戦後の女性たちが担っていたとも考えられる。例えば、島田療育園の職員は圧倒的に女性が多かった。それも
例のVYS。こんな事が問題の根にあった。会員の⅔は女性。女子学生。元々男と同じ学校に通ったのに、卒業後は当時は会社でお茶くみか、家事手伝いしかない。ものすごく各自が悩んでいた。一方、その気持ちを全男性とか、女性でも教職課程の人たちは理
NHK第二放送の「漢詩を読む」の今日午前の番組に以下の古典詩があり、考えさせられた。紹介する。 玉階怨 謝朓 夕殿下珠簾 流蛍飛復息 長夜縫羅衣 思君此何極 玉階=宮殿の階段。この詩では、宮殿そのもの。怨
佐久のみなさんへ. 2019年12月 今年も12月になりました。少し前のことですが、日本で世界ラグビー大会がありましたね。みなさんもテレビで見たでしょう。ぼくも楽しく見ま
人間は目的が持てない新しい行動には踏み切れない面がある。結婚も「新しい行動」には違いない。日本でも30年前くらいまでは「結婚目的=我々夫婦の子供を作ること」と言う暗黙の目的があったようである。でも、その後は仕事に打ち込む女性が激増し、子供作