追加して書くと、食べ物・飲み物関係。 風邪の間は普段は食べない梅干を食べ、コーヒーも止め、ココアなども飲まず、飲み物はお茶類にしました。この二つは抗ウィルスや殺ウィルス効果があると聞いているので。 それから、豆腐。消化もよく、抗体を作るこ
風邪報告. 11月19日午後5時、支援相談員関係の用で玄関に出て、のどが冷たい空気で冷えて、その所の抵抗力が落ちたのでしょう。そこが寒気がして、翌日から咽喉が腫れて、かなり痛む。8年ぶりくらいの風邪。 翌日から、柴胡桂枝湯で治療。それが
全生園に行ったのは1977年。後、特に1985年あたりから、「何故、行ったのか」。自分でも判らなくなりました。それも当然ですね。考え方が変わったから。大体、人間は絶えず考え方が変わるわけです。 僕の場合、大体、1984年ごろ、例のキリ
どんな芸術や音楽作品でも、作者の背景の社会状況を見ていかないと、上べだけの見方になるようである。大体、芸術や作曲に打ち込んだ人たちは、当時生きていた社会から疎外されるか、強い不満を持っていた例が多いから。19世紀のヨーロッパ文明を嫌い、
80年以降は地方で盛んになったわけです。そして、今みたいな在宅化が。よかったと。 根拠がない事ですが、地方では金持ち身障会みたいなものはないでしょう。お金中心の考え方も地方では育ちません。人々が連帯しているから。連帯できない状況の一つ
まず、何を持って、身障運動や障碍者運動とするか、定義がいまだになされていないという問題もある。仮に「障碍者の人権と生活権保障の運動」としよう。その場合、根拠はどうしても、「憲法・法律」になる。例えば、障碍年金と児童手当の両払いを求めた「
例の東大医学生は僕と出会う前から伊藤まつさんの所に行っていた。まつさんに自然に人が寄ってくる様子を観察。その後、僕に出会い、伊藤まつさんのイメージを僕に当てはめ、僕を教会の中心に持ってくれば、自然と教会に人が集まると思ったそうだ。でも、実
旧友の挙式に身障の僕とM子が、挙式の親戚の誰かの反対で行けなかった事があったが、それには招かれていなかったものの、関係者たちの共通の友人に法律学部の二人がいて、話も詳しく聞いていたが、一人は「(参加も)ムリ」とだけ言い、もう一人も沈黙
1977、8の時の僕は憲法・法律には無知だったから、その視点でS園は見なかった。同行したボランティアに二人の法学部の人がいたが、二人も同様だった。園生や職員の人権の事も言わなかった。 後年の僕はS園にも非常に深い法律問題が絡んでいるこ
まず、1977年、VYSの会合で多磨全生園の事を初めて聞いた場面を思い出した。話した人は青山大学・法学部のカトリック信徒の女性。こんな話だった。 「患者さんの作る作品が素晴らしいの。来てね。ライ病は移らないの」と述べたため、皆行く気に
旧憲法は天皇中心だが、明治以降に限って言っても、各天皇は個性もイメージも違うのである。明治天皇は威厳がいかにもある感じだった。打って変わって、大正天皇は気さくだった。公の場で「花子さんは美人かな」と言った事があるとか。そこから知的障碍説
本当にありました。旧憲法下の教育を受けた人達と、新憲法下の教育の人達が1960年代ごろから次第に対立するようになったから。その問題の典型例が全学連や、東大紛争ですね。 僕の見た福祉団体が全生園で合わなかった問題も、本当はそれだった。理
まず、サポーターたちは戦後生まれなのに、まつさんに引きずられるように戦前の世代の価値観になっていった点である。そこが判らない。戦前世代の価値観とは、家族制主義で、市民連帯などはないものである。「伊藤まつさんのお蔭で、彼女や彼が優しさに共
当時の全生園の元患者たちは戦前世代。それも昭和10年前に生まれた人達がほとんどだったから。意識も戦前憲法そのもの。僕は法律関係には詳しくないが、旧憲法は人権意識が薄いから、戦後世代の元患者たちが活躍するまではハンセン氏病関係の運動は起き
市民連帯による自立化だったね。例の〇〇氏と通じる面もあるし、違う面もあるが。「ゆうじ屋」でよく判った。昔、〇〇氏に近付いたわけもそれだね。 その逆が全生園サポーターたち。何故、個人で療養所に行き、市民連帯のない付き合いをしなければなら
子供の事しか話題がない状態になるね。我々の生まれ育った家庭含め、そのような例が昔は多かったのではないの。読んで下さる人の多くも思い当たるかも。今は影を潜めたようだが、4、50年前は特にママは仕事を持たない関係もあり、教育ママになり、「マ
過去の〇〇氏がしきりに訴え、又、今の僕が痛感し、実方氏が店長の仕事を通して無言で世間に問いかけている事も表題に尽きると言って良い。 確かに、お金はバカにはできない。あっても浪費したり、又、浪費家と結婚したら、お金に困り、生きていけない
何分、2012年ごろから、日本のインターネット・サイトの一つである2チャンネルで、2062年とか2058年などの未来からの日本人がこれからの歴史を投稿したり、現代日本人たちと質疑応答したという事が出てきているのだ。それらを編集した動画も
〇〇氏は80年前後、「資本論」を参考に僕の仕事の事を考えた。具体的には氏にも思い浮かばなかったが、僕がボランティアたちを使って、命令して行なう仕事を想像。金が目的ではなく、僕の社会連帯が目的。氏はいつも 「仕事の目的は社会連帯。今の日本
〇〇氏がしきりに寂しさを訴えたのは、その閉鎖性の頂点の時期だったね。後、女性の職場進出が進んだが、一度広い社会を知った女性たちは結婚して退職し、家にこもっても猛烈な寂しさを感じて続かないらしい。ムリに家にこもり、酒に走った主婦たちの事も
例の話の続き。元患者夫婦の夫はS氏である。 思い出しても、二人はよく似ている。話した事も、行動も。例えば、二人共、「中東のイラン・イラク戦争は困った事だ。日本政府も、両国からの石油禁輸をするなど、戦争を止めさせるべきだ」。どちらも陰で
今回のアメリカの大統領選挙から、白人間の経済による亀裂が日本でも報道されて、知ることができた。何分、一部の白人の資本家たちと、今は仕事が少なくなりつつある多くの貧しい白人の間で亀裂がすでにできているとか。日本では、アメリカ社会は「白人と
「マルクスは、国家社会主義は想定していなかった」とその本の初めの方に書かれてありました。国家社会主義を最初に想定したのはエンゲルスだったとか。 その本は今日読み始めたばかりですが、どうも全世界の人達はマルクスとエンゲルス、レーニンな
先輩たちが歴史を正確に学んでいたら、早くに対策を立てられて、福祉も前進したのに。残念だと。 「イエ」の問題に着目した点は良かったが、その歴史的な見方がねえ。閉鎖性に目を向けないと。大体、障碍者に限らず、人は個人でも、家族だけでも生きら
大体、僕の10年から20年先輩の身障運動家たちは、先に述べた事を「封建制度の遺物」と考え、イエ制度を非常に否定した。でも、世間に訴えても、余り相手にされなかったらしいし、次に続く世代の身障者たちも。中には、先輩の請け売りみたいにイエ制度
恐らくは明治時代、当時の日本人たちが欧米の結婚や家庭を「夫婦だけ、家族だけの世界を作る」と誤解した事から始まったのではないか。あり得る事だと。でも、欧米では教会で挙式するが、それ自体が「仲間と結婚生活を共にする」の意味だし、その後も頻繁
どちらも大きいが、まずはより大きな方から述べたい。 例の元患者夫婦を通して、〇〇は当時の結婚生活の本質は勿論、「社会的隔絶」の寂しさと恐ろしさを悟ったわけだと。そこから、やはり、別の理由で社会的隔絶状態にある元患者の伊藤まつさんの問題
その文は、旧友たちのメールに肉付けしたものである。 江戸時代までの事は知らないが、どうも日本では明治以降は、結婚後は男女共、社会活動から手を引くという通念があるらしい。結婚後も社会活動する人は創価学会員か、左翼某政党か、変人だと僕も複
僕は全生園には例の伊藤まつさんの他、S氏という中年夫婦のお宅にも上り、一緒にお酒などを頂いた。同行してくれた人に、福祉会で一緒だった○○氏がいた。男性ね。氏は熱心に伊藤まつさんの所には行ったが、次第にS氏夫婦の所に行くのを嫌うようになり
これはアメリカ国民が決めた事である。日本人である私は何も論評はしないし、できない。選挙戦期間中も何も書かなかった。アメリカに限らず、外国の選挙には誰も口出しはできないと思われるからだ。とは言え、政治経験のない人が大統領にえらばれる事は異