1967年。光明の小学5年だった僕の学年の先生と父母たちが都に介助員制度設立の運動禹をして、翌年に早くも実り、介助員がいらしたわけだ。良かったし、先生と父母のお陰だが、今気が付くに当時の若者の世代感覚のお陰でもあると。戦後憲法を愛して、
ある人からのコメントによると、(日本の)高齢者ホームではすでに恋愛や結婚をする人たちが増えているそうです。僕は思いましたが、彼らは戦後の日本を色々と改革していきました。今も「高齢者の恋愛と結婚」の分野で革命を起こしていると。僕はその世代の人
11月。高島平でも黄色い菊が咲いていた。思い出す。それは抜けるような青空。野球をやり、下は砂利で僕はひざ立ち歩きができないので、アンパイヤ。一度やって見たかった事。大声で「ストライク」とか「ボール」と述べたね。子供たちも僕の声は聞き取れ
僕は聴障を持つKをVYS仲間だとは思えなかった。理由は二つあった。一つは、する活動がかなり違っていた事。もう一つは、言葉が違ったこと。どちらも大きい。 まず、仲間意識はやる事が違うと生じない気持ちである。また、卒業などでやる事を皆終える
今の70代、80代の人たちの生まれた歳や青少年期を過ごした年代を見れば、一因は見えてくるかもしれない。例えば、今年80歳の人たちは1938年に生まれたわけですね。彼らの7歳の時には終戦があり、日本社会の価値観が根本から変わり、その少し後
憲法や法によらない福祉、恋愛によらない結婚。どちらも「共生」に違いないが、その根拠に我々の世代は仲間・仲良し関係を求める人たちがかなりいた。(かなりが友人とか友情とも言っていたが、中身は仲良し・仲間関係。友情の言葉が誤解されていたから、
今日も漢詩も楽しく学びました。こんなものがありました。北宋時代の潘閬(はんろう)の「霊隠寺に宿す」。そこに泊まった時の詩ですね。 「繞寺千千万万峰/満天風雪打杉松/地炉火煖黄昏睡/更有何人似我慵」。 「寺を繞(めぐ)る、千千万
送信先の一人に昔から「若者の政治無関心」を嘆き続けている人がいる。その伝統も1971年の全学連挫折から端を発している。その時は僕は高校1年だったが、高校時代に家によく来ていた成城大学のボランティアの人が「今の学生たちは政治にも、世間や海
伊豆の荒波 1967年10月末。光明養護学校の小学6年だった僕の学年は一泊二日で、伊豆の稲取に修学旅行に行った。その3日ほど前から沖縄付近に強い台風が停滞しており、僕も心配していた。でも、旅行当日も動かず、旅行はできた。参加者は1組と
70年過ぎまで若者たちは憲法を片手に国家権力や資本主義、恋愛を片手にイエ制度と戦った。その集大成が全学連。84年、キリスト教関係で聞いたが、前者は一定の成果を収めたが、後者は挫折。また、その差別反対の運動は親・祖父母・親戚関係に反対さ
S園関係。77、8年の僕、83年の身障ミニコミ会と、そこの身障者の恋愛の件については問題意識を持っていた。でも、知的障碍者のその件はどちらも言及していない。昔の僕は知的障碍者には性欲はあっても恋愛感情は持たないと思っていた。同様に言及
先日は高齢者の三角関係のもつれからの痛ましい事件について少し触れた。本人たちは真剣に愛し合っていて、結果が傷つけ合う事になるわけだ。悲しく想う。昔からどの国でもある深い問題ですね。 恋愛みたいな感情や気持ちは、今の心理学ではまともに原
1945年まで続いていたイエ制度だったね。男性の元患者S氏は「ハンセン氏病差別は元々は部落差別と同じものだ。伝染病である事が判り、血筋のせいではなくなり、ハンセン氏病差別は終わった」と述べていたから。まつさんとはやや違うが、それも「イエ
中高年にふさわしい恋愛の事である。無論、個人差はあるが、独身を続けても、大体、40歳を過ぎるとどんなに魅力を感じる異性と出会っても、若い時とは違って、感情的に熱くはなれない例が多いようである。僕もそうだし、男女の別なく、多くの独身を続
ハンセン氏病関係の歴史的考察だけでもダメである。それはまつさんなどの一面的な見方にもならないと思う。カギは戦前の大家族制度。それも深く見ないと、描けない。まつさんは1908年生まれでもあったし。 その生前、当時の僕には判らない事があっ
さっきNHK第二放送の漢詩の講義の時間を聞きました。今は秋ですが、何故か、春の詩も扱っている。でも、良いものは良いですね。その中に宋の王禹偁(おう・うしょう)の春日雑興も今日は取り上げられていました。書き下し文は「両枝の桃香、籬を挟み
僕はS園、群馬県のM園、ハンセン氏病の全生園と、ほぼ同じ時期に行きましたが、何故か、S園だけが突出して印象的です。他はほとんど見ていません。全生園は新聞でよく報道されるから上べだけは書けますが、M園は書いた事がありません。 S園だけが
三木清という哲学者がいる。1945年まで生きられた人で、戦前の若者たちにその著作は人気があった。その哲学の核は「人生至る所に青山あり」。「青山」とは、お墓であり、死の事である。何分、戦前は中学生でも読んで理解できたとか。 高校時代に現
ヴァチカンと中国の国交樹立です。そうなるとは思わなかった。でも、よく考えると、中国はそうしたい状況がある。ヴァチカンを味方にすれば、ヨーロッパ諸国・アフリカ諸国・中南米も取り込み、アメリカを包囲する事も可能だからです。勿論、トランプ政権
社会変革以前に「他人や社会に通じる事」をする必要がある。当たり前だね。でも、それがVYSに限らず、他のボランティアや身障運動に欠けていたわけです。仲間間、極端な例は同級生にも通じない話ばかりしていた人たちも非常に多かったから。いくら判り
今朝(18日)のニュースで、カナダの大麻解禁を知った。何分、アメリカではすでに9つの州で解禁されているとか。解禁しないと、マフィアが売買し、その資金源になるという。つまり、その国の警察も抑えられないだけ、大麻を求める人たちが多いわけであ
その名は、イギリスで付けられた蔑称である。何分、英語では非常に差別性を含んだ言葉らしい。だから、海外向けにはその名は使えない。かと言って、それに代わる言葉も僕は知らないから、その言葉を使ったわけだが。その分派に聖書原理主義があるが、僕の行
説明するまでもなく、もっと悪かったね。明治に遡ってから見る必要があるかもしれない。 明治に作られた教育勅語。「仲よく」という言葉が目立つね。何も天皇や国家役人の意向だけでもなかっただろう。国民の底辺からも同じものを当時は求めていたはず
それは群馬県にあるM園という、身障施設兼プロテスタント教会。併設されています。内、施設関係は特に問題はありません。虐待とか子供扱いもなかったし。それ故、僕も今までは目を付けなかったわけです。福祉の次元の問題ではない事をまず述べます。
世田谷関係、VYS、僕の行った教会関係と、問題の根は今書いた通りだったようだ。判りやすい世田谷関係から述べよう。 ボランティア、身障者と自ら不死身という幻覚を持っていた。それゆえ、ボランティアの場合、「肉体は朽ちる」事を知らず、身障者
そのいきさつだが、フェイスブックでその関係の社会運動をされている方たちとたくさん出会ったからである。フェイスブックはつながりから、多くの人たちと出会えるわけである。 僕も子供向け科学の文に「命」の事も書いているから、その参考にもなると
思い出せば、VYS、世田谷福祉関係などと、組織化を試みて、運営や機関誌発行、内部連絡に莫大なエネルギーと時間を費やした。やりたい活動ができない人も多く、かなりが青春不完全燃焼。 今思うと、責任者会長を専門職化して、更にプロの事務員や連
組織には大金が常に必要である事が判ります。責任者を専門職にして、その他、多数の事務連絡員を雇わないと、組織は成立しません。大金なしでやろうとしたVYSとか、世田谷福祉関係もうまくいかなかったわけですよ。その10年前の全学連方式みたいに、
調べましたが、小野ヤスシは選挙で落選したようですね。2012年に他界されています。でも、僕の行った教派の危険な体質ぶりには変わりがなく、非常に問題です。
その人は光明養護学校の一級下の方。昔の光明のリハビリの様子を描いていた。「巨人の星」みたいだったと。根性でやらされたという意味で、実感がこもった書き方であった。但し、僕が思ったが、僕は光明の事はそこそこに書けるし、現に書いてきたが、「実