僕は6歳まで品川区の西大崎という所に住んでいましたが、そこを27日に4年ぶりに訪ねました。 午後1時に家を出て、タクシーで。まず、目黒不動の石段の下に。目黒不動は江戸時代からある有名な寺ですが、幼少期は父母に連れられてそこに行ったもの
まともな政治家がいなかったから北朝鮮は戦争や飢饉が起きた。 一方、日本は民主主義ながら、国民のかなりは国政選挙に棄権。今回の衆議院選挙では、約半分が棄権。 コースは違っても、日本もまともな政治家が育たず、北朝鮮みたいな国にならないと
これも池上彰の放送によるものですが、第二次世界大戦の直後、旧ソ連が自国の言いなりの国を朝鮮半島北部に作ろうとして、それまでソ連軍の一員だった金成柱(グーグルでは、「金聖柱」)をいきなり北朝鮮のトップに据えて、名前も日本軍を破った伝説の人
池上彰氏がテレビで「65.3万トンの爆弾が朝鮮戦争の時にアメリカから北朝鮮に投下された。その量は第二次世界大戦の時のアメリカ軍の全爆弾の量を上回る」と述べていました。「特に、植民地時代に日本が作ったダムや水田を破壊した」とも。 想像もで
まだよく判らないが、「神のつなぎが実感できない」状態は個人主義資本主義の問題にも深く絡むはず。 それを批判したマルクスだが、やはり、人をつなぐものを甘く見ていたと思う。「労働者の連帯」が強いとも思えないし。つなぐものがない状態
年間3万人以上が覚せい剤使用で亡くなられており、質の悪い覚せい剤を輸出する中国からのその輸入を規制しようと、トランプ政権。トランプ政権の意図はともかく、覚せい剤で死ぬ人だけでアメリカでは3万人。使用者は莫大な数字に上るわけだ。日本ならば
行った所は、目黒不動の石段下、林業試験場公園、昔住んでいた家の前、武蔵小山のアーケード街です。林業試験場以外は、記憶に残っている所です。今日の東京は暖かで、外出日和でした。後日、写真を公開します。 例えば、今年5月の外出の時は疲れまし
日本中のかなりが大揺れした東日本大震災。東京でも震度5の揺れが5分間続き、怖かったのを覚えています。北日本の人たちはもっと怖かったですね。被災地は勿論、日本全国から「助け合い」とか「絆」という言葉が聞かれて、お金を寄付する人や環境問題に
その件も、旧約聖書の信仰から積み重ねた結果のものらしい。いきなり新約に入り、感覚的にその所だけを信じようとして、失敗する人が日本には非常に多いです。僕の見てきた例は氷山の一角。 欧米とかロシアでは、昔から小さい時から旧約聖書に家庭や教
日本で23日に、TV東京で放送された「未来世紀ジパング」によると、一度は平和に向かい掛けた北アイルランドのカトリック系とプロテスタント系の居住区の間に、エルサレムにあるような「壁」が作られたとか。何分、イギリスのEU脱退がきっかけだとか
まず、文芸誌で僕によく恋文を送って下さる若い方の事が判明した。岡山に住む知的障碍を持つ人。恐らく、僕のパソコン文字で書いた原稿が新鮮にも見え、その人独特の読み方で僕の文を理解してくれ、ファンになってくれた。でも、その人はファン心理と恋愛
70年代。多摩更生園ができてからの東京の身障者たちに中核派が絡んだ件。身障者たちの「明日は我が身か」という気持ちを巧みに利用して、恐怖心をあおり、更に社会党・共産党・役人たちへの不必要な憎悪感を植え付けたのだね。今日の北朝鮮の戦争の時の
昨日は書き忘れましたが、戦後に起きた多くの戦争の内、特に1950年から始まった朝鮮戦争は激しかったです。北朝鮮の狭い国土にアメリカ空軍は大量の爆弾を落とし、陸軍や海軍も上陸し、地上戦も行なわれた。原爆を別にすれば、対日本よりも激烈な破壊
自由と平等は本当は両立しないと、書物で多く目にする。自由を徹底的に追及するのが戦後のアメリカを中心とした資本主義陣営で、平等を徹底的に追求したのがソヴェト・ロシアを中心とした共産主義陣営だと。両陣営は鋭く対立したが、世界の人たちにとって
美濃部都政は当時としては沢山の福祉改革をしたが、1970年ごろだろうか、身障コロニーの多摩更生園を作ったね。身障者たちには悪評で、そこから反施設運動も起きた。 その件を思うに、美濃部さんも役人たちや、当時の社会党、共産党もやるだけやっ
先日書いた大阪市民の件から、X君問題の根本的な解決策も見出せた。要するに、そのような連帯社会の中なら彼も生きられる。皆で彼をケアすれば、発作時の対応、異性への暴発抑止、激怒時の対応も全てできるから。 僕が見たような大阪市民社会では、キ
あのノストラダムスが作ったと言われる護符の絵です。伝えられる古文書によると、「良い事をしている人や他人から虐げられている人はこの絵を見ると良い事が起き、悪い事をしている人や他人を虐待している人には悪い出来事が起きる」そうです。 衆議院
僕の行った教派。名古屋に住む1946年生まれの男性信徒。85年ごろ、出会った人。学生時代に部落問題に関わり、強い影響を受けたとか。その影響で次第に「愛否定の神学」を唱えるように。無論、信徒たちとは意見が合わず、ケンカも多くしているそうだ
子供たちと友人になれるわけでもないのに、高島平に僕は何求めて行ったのか。また、何故、子供たちと遊ぼうとしたのか。答えも「遊びを通して、共生へのヒント」を模索したかったからではないか。S園行きも。但し、「共に生きる」は極めて大きいテーマだ
特に「博愛」を重視した考え方だったようだ。だから、その思想の一部として「統合教育すれば、子供に愛の気持ちが生じ、共生できる」と思い、それを推進したと思われる。 でも、人のする愛には偏りがあり、狭いわけだから、そのような事からの共生はム
確かに、そうですね。平等・自由・博愛。内、平等を深めたのがマルクス主義でした。ロシアで特に発達しましたが、人々の気持ちはバラバラで、『資本論』に書かれてあった「労働者の連帯」は実際はできず、多くの人たちが無気力になったそうです。一方、自由
関東と関西の論争だったね。養護学校を必要とする関東と、それを必要としない関西の。悪かったのは互いに相手の地域の社会や歴史を知らなかった事だと。だから、泥沼の戦争になったと。 また、青い芝(東京で生まれた脳性まひ者団体)はその両者の間で揺
日本はすでに少子高齢化が世界一進んだ国になっています。それは日本は最先進国になったという事であり、かつてのように外国の制度を取り入れる事は非常に難しくなっているわけです。日本が模範とするような国はあるのでしょうか。このような時は、温故知
森友学園は色々と報道されているが、まだまだ裏がありそうである。従って、現時点では、それを述べる事は差し控えたい。でも、報道とは違う角度からこの問題を述べる事はできる。大阪の土地柄上、本来ならば、起きない問題だからである。 大阪は元々浄
中学・高校時代を思い出すと、生徒間も、生徒と介助員やボランティアたちとも、僕も非常に幅広い会話をした。大体、会話も多目的だし、人間関係自体も多目的だろう。 でも、何故か、僕の入った会は全て、会話も、目的も一つにくくる傾向があった。当然
僕が勝手に作った言葉だが、若い時に入った福祉会や親睦会はそんな状態だったと思われる。首都圏では地域でもコミニティがないわけだが、例えば、ボランティア活動とか身障運動、友人作りの為にそのようなものが70年代ごろは次々と作られた。でも、支え
少し前に述べたように、室町時代以来の強力な支え合い社会が大阪にあり、反権力の気風もあったわけだ。でも、同じ浄土真宗の伝統を持つ富山・越中はかなり違う。そこは近隣の親睦が強く、他から移住してもすぐに友人にはなれるが、大阪的な支え合い・反権
今日の朝日新聞の朝刊の記事に、沖大幹・東大教授の論文が載っており、それによると、世界的に牛肉から鶏肉への嗜好の変化が見られるそうである。理由の一つは鶏肉の方がヘルシーだからとか。確かに、牛肉は脂肪分が多く、たくさん食べ続けると多くの病気
先日、「山田のかかし」の二番を初めて聞きました。一番は「歩けないのか、山田のかかし」とあり、日本では本当に昔は身障者がかかし役をさせられていた事が伝えられる歌だと思いますが、二番の歌詞には「聞こえないのか、山田のかかし」とありました。そ