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2021年11月24日11:13

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市民意識とは何ぞや

  中学の時、社会科の先生がフランス革命を起こした市民の事を「大商人など、金はあるが、政治発言できなかった人たちの事です」と説明してくれた。聞いた人の全員が過去の事だと思った。僕含めて、市民意識は持てなかった。後、70年代末、富士福祉事業団役員の一人から「日本人は市民意識が薄いからボランティアは広まらない」とぼやきの声を聞いた事がある。でも、同じころ、無教会の伊藤節男伝道師が「市民意識では何もできない。個人と個人の間にできる愛だけが人を結ぶ」と違う見解も述べられている。今の僕は、例えば、島田小説を書かせているのも個人としての意識である事に気が付いている。障碍者として書いているわけでも、市民意識で書いているわけでもない。大体、問題の核は経済であり、障碍者問題でもないわけだから。

  フランス革命後のヨーロッパだが、お金を巡り、資本家と労働者の対立が激しくなり、市民は分裂。マルクスの述べた通りである。20世紀になると、男と女とか、健全者と障碍者、少数民族などの対立軸が多くでき、市民連帯・意識は分裂に分裂をした。70年代の時点でヨーロッパでは市民意識はどうだったのだろうか。因みに、明治になり、日本にその観念が入ると、国家役人たちは「臣民」、つまり、天皇の下の市民意識という独特の観念を作り上げたが、実際はそのような意識を日本人は持てたのか、僕には判らない。

  今の僕は確かに障碍者意識なるものはおかしいと気が付き、捨てた。でも、相変らず、市民意識は持てない。これで良いと思う。大体、今の日本で市民と呼ばれる人たちはどのような人たちなのか。精神障碍者やアイヌ、在日韓国人・ロシア人などの多くの日本人から差別されている人たちに「同じ市民だよ。連帯しよう」と言うことは非常に失礼に当たると考えるからである。更には、外国国籍を持つ何十憶もの人たちや、やがては地球に来るだろう、宇宙人に対して通用する観念なのか。聴障者に対しては、とか、疑問だし、判らなければその観念は持てないわけである。シャカの説いた「自己を拠り所にしろ」であり、それでもできなければ、神に人とのつなぎを頼む。これで良い。(「市民意識は人間中心の観念。それとキリスト教は両立しない」とラジオで神学者や牧師の講義もよく聞きます)。

  最後に、大切な事。市民意識が持てないからと言って、政治に無関心だったり、棄権してはいけないと思います。選挙権は個人個人に与えられたものであり、個人が単位だから。本来、立候補するのも、投票するのも個人が単位です。今の政党組織単位の政治はおかしいかも知れませんね。この問題も歴史が長い時間を掛けて解決すると思われます。
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