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2021年11月22日11:52

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人間同一視の根を探る

  僕含め、かなりの身障者が他の身障者と同一視された事を証言している。ハンセン氏病元患者や在日韓国人も同様な事をされる事が多いとよく聞く。もっとおかしな事は、身障者たちも自分たちを同一視し、話し方も主語が私ではなく、「障害者は」になる事も。同一視を怒りながら、自らもそうするわけである。もっと広く見ると、「アメリカ人は・ロシア人は・中国人は」という見方の会話も方々で目に付く。外国の小説、映画、市民へのインタビューにも、外国人や少数民族への同一視がたくさん出てくるし、自らも「イギリス人は」みたいな発言をよくする。どこの国もいるのは多くの個人個人であり、例えば、イギリス人なる人物はいないのに。

  以上の理由はマスコミ報道だと聞いた事がある。確かに、そのような表現の報道も多く、うなづけるが、歴史を見ると否定される。マスコミが発達していなかった時の南北戦争前後のアメリカの「風と共に去りぬ」でも、黒人や北部同盟の人たちの同一視が見られるし、マスコミがなかった時のシェークスピアの「ベニスの商人」でもユダヤ人同一視が。「ユダヤ人はダメだ」みたいな。マスコミに関係なく、黒人やユダヤ人は同一視されていたし、ヨーロッパ系の人たちも自らを同一視していた事も容易に想像できる。自分たちを仲間みたいに同一視しているから、そこに差別意識が絡み、少数民族や外国人への同一視が顕著になるようだから。

  今の僕の以上の根の探究はここまで。非常に深い理由がありそうだが。しかし、理由は判らなくも、対策はちゃんとある。

  自分は自分、他人は他人と割り切り、しっかりと自分を持つか、又は、自分と神や仏としっかり意志疎通し、いかなる他人に対しても個性と人格を認めて、接していく事である。前者はシャカが説き、後者はイエスやムハンマド、親鸞などが説いた。これが慈悲とか愛であり、人と人を結ぶわけだ。でも、人間のする事だから宗教関係でも次第に忘れられ、自教派も、他教派の人たちも同一視し、宗教差別や戦争にもなったのかもしれない。百年前に生きた内村鑑三が鋭く指摘していた事だが。

 もう一つ。人間個人の持つ力は本当はものすごく強いのかもしれない。または、個人は神と意思疎通でき、力を与えられると言おうか。何かのプロジェクト目的は別として、いかなる仲間関係も作る必要はないのだろう。愛が大切である。
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