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2021年11月18日14:33

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仲間関係がダメな理由と、学校関係

    会などの集団にだけ目が向き、一人一人の心には目が向かなくなる事である。メンバーたちに心がある事さえも気が付かなくなる事さえもあるわけである。簡単なことだが、学級問題を考えている内に気が付いた。

  小学から高校までの僕のクラスの4人の担任の先生たちは、「○○学級としての自覚を持って学校生活を送れ」とは一切言わなかったが、もし、そのような事を繰り返し指導されたらどうなるか、考えてみた。個人差はあるかしれないが、多くは学級全体の事ばかり考えるようになるだろう。文化祭で我が学級は何を訴えようか、とか。個人個人の考えも、メンバーの話もそのような事に集中し、例えば、太郎君の気持ちとか、そのような細かい事に気が付かなくなる。太郎君に限らず、一人一人に心がある事にも気が付かなくなるに違いない。そのような中で育てば、他人の心も知らない、冷たい人間になる事は容易に考えられる。卒業後に多くの人たちと出会っても、ろくな事はないわけである。それ以前に、そのような学級は冷たく、地獄である。

  映画監督・教育評論家の羽仁進氏は非常に早い時期から「学校指導の画一性」を警告していたが、まさに以上は「画一的」でもある。他人の心に気が付かなければ、画一的にもなる。

  無論、公立学校の先生たちの指導も千差万別。中には僕の担任の先生たちみたいに、以上のような事を指導しない先生もいると思う。でも、学級全体的な指導も横行していると昔からよく聞く。そのため、拙小説にも実名で書いた身障の作家の故花田春兆氏は「障碍児を公立学校に入れても、画一教育で伸びない」と70年代の時点で統合教育に反対意見を多くの著書に書いているほどだ。

  「インディゴチルドレン」という言葉が日本にも定着しつつある。優しさとか芸術性が高く、精神世界の人たちからは「霊性の高い子たち」と尊重もされているが、感受性が極めて高く、学級みたいな場に行っただけで心が傷付く例も多いため、問題になっているようである。以上のような仲間意識強制の指導を受けると、自傷行為にもなり、大変なことになる。そのため、「○○障碍」というレッテルも貼られがちだが、感受性が強いだけでおかしくないし、障碍児でもないのである。そのような性格の人たちはいつの世でもいる。画家のゴッホやゴーギャン、音楽のショパンやモーツァルトもそのような人たちだったと考えられるし。ヨーロッパではそのような子の対策が進んでいるし、その他の子供に対してももう画一教育は止めている。日本も徴兵制が廃止されてからかなりになるし、軍隊のために画一教育する必要もないわけだから、いいかげん、画一教育は止めるべきだし、また、学校自体が合わない子供たちも多いから、教育=学校という図式も崩し、通信教育の充実などをした方が良いと思う。

  最後に、仲間関係に浸かった愚かな例も紹介しよう。70年代後半。一福祉会。「会としての社会変革」も話し合った所。一人の聴障の仲間もいたが、彼のいない場で、「手話は必要ないと思う。筆談で事が足りるから」と誰かが言い、僕含めた数人も賛同し、相槌を打ったことが思いだされる。でも、その会員の聴障を持つ彼は一生懸命手話の必要性も訴えていた。筆談だけでは片言しか述べられないものらしい。手話は必要。でも、その必要性も一人一人の心が大切にされるようにならなければ判らないわけである。会としての社会への主張みたいな事を話してばかりいたら、それも不可能である。聴障を持つ彼がその発言を聞けばどんなだったのか。また、他の聴障を持つ人たちが聞けば。性格にもよるが、中には激怒する例も多いと思う。発言を賛成した人たちにも怒ると。当時の僕も怒られて当然だった。でも、僕も学校時代のような個人レベルの付き合いをすれば、その人の状態や手話の必要性も判ったと思うし、何も聴障者に限らず、個人レベルの付き合いをしないと他人の事は判らないわけである。


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