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2021年07月24日16:23

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旧友たちへのメールから

僕が哲学の道を歩めなかった理由

 死の自覚がなかったからである。それがないと、哲学する事どころか、その本を読んでも判らない。例えば、高校時代に少し読んで投げ出した三木清の本には⦅人生、至る所に青山あり」と書かれている。青山=お墓=死だが、高校時代は勿論、昨年までも判らなかったから。どんな哲学でも、死の自覚なしには理解はできないから。先生や母からはその才能を見出されていた僕だが、仮に哲学科の通信教育を受けても、報告書は何も書けないわけである。
 目を他人に向けても同じ例が光明の同級生や、早く潰れた世田谷の身障会やボランティア、VYS、全生園の元患者にも多くいた。もし、死の自覚を持てば、発想も変わり、日本の福祉も、ハンセン氏病関係含めて、大きく変わった気もする。僕含む、個人個人の運命も。「死が見えない」20世紀の状況の影響かもしれない。「哲学は言葉の遊び」という話をよく聞くが、「死」抜きの哲学は確かにこうなるわけである。

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