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2021年05月10日17:25

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日本の身障者の世代による「施設」の見方の違いv

昭和52年(1977年)春の身障会。僕よりも10年くらい先輩の男性身障者が「施設で身障者同士、仲良く内向きになっても仕方ない。差別問題も解決しない。地域で住まなければだめだ。施設は安楽暮らしであり、甘い誘惑だ。その誘惑を払いのけないといけない」。人生経験豊富な先輩の言う事だから、間違いはないにしても、何か話に違和感を持った。僕は1956年生まれだが、同世代の身障者たちもそのように思った例もあったと思う。第一、僕の世代の身障者たちには、施設は恋愛も結婚もできない冷たい所というイメージがあった。以上では、その問題は出てこない。


  その数ケ月後に行った島田療育園の身障室は確かに恋愛や結婚の深刻な問題はあったが、身障園生同士は仲が逆に悪かったし、政治に関心を持つなど、内向きでもなかった。板橋区の某施設の人からの便りでもほぼ同じだった。その後、僕も多忙になり、以上の先輩の話はいったん忘れた。

  近年、荒井裕樹などの戦後身障者史的な本を読んだ。それには、大体、1950年以前に生まれた身障者たちは、身障者だけでいる事を好み、戦後の早い時期に行政に盛んに施設作りを働きかけたとある。ただし、それはほとんどが軽度脳性まひやポリオ後遺症。重度の人たちは医学の未発達のせいで、幼年期にほとんど病死していたわけである。軽度ならば、介護も不必要。食事さえ作ってくれれば生活もできるわけである。料理人と掃除関係くらいで、介護職員抜きの施設が戦後の早い時期に作られていたようだ。養護施設(孤児院)の大人身障者版の。恐らくは男同士、女同士の相部屋で。内向きになって。そうすると、その先輩の話も理解できるし、恐らくは1970年代くらいまで、そのような施設は関東の至る所であったかもしれない。世代も違うし、見学もしていないから、そのような身障者たちの生活の様子や発想は僕にはよくは判らない。ただし、「仲良く内向き」では発展性も、深い愛も、矛盾解決の努力も生まれない事はよく判る。何もその世代の身障者だけでもない事もよく判る。政治家同士もそうだとよく聞くし、僕が経験した人間関係でも、何かの社会的な目的を失ったものとか、伝統に安住した団体がそうであった。そのような所は僕は嫌ったし、その一つがレイプ牧師たちとその隠ぺいをした例の教会関係だったから、「安住の誘惑を払いのけろ」という先輩の話は大きな意味で僕に役立っていたかもしれない。無意識的にそれへの安住を僕は自ら断っていたわけだから、忘れてもいなかったかもしれない。

  因みに、今の若いせ代の「施設」は通所施設など、更に違ったイメージがあるらしいし。同じ言葉でも、世代が違うと意味も違うことがどの国、どの時代でもあるわけだから、気を付けないといけないわけである。


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