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2021年05月01日13:51

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フェイスブック投稿から

日本の戦後の身障運動の核の一つは身障者の結婚問題でした。ただし、それを阻害するものについては、すでに1970年代から二分し、対立。
 「資本主義経済」説と「健全者による差別」説。やがて、養護学校建設と統合教育推進の対立も絡み、複雑化して、1980年ごろはいったん挫折しましたが。
  若い時の僕の意見は差別説。後に「両方ある」という見方に変わりました。
  でも、説は説。どちらも根拠がないわけです。
  経済は大切ですが、それだけでも語れないし、差別も原因があるはず。原罪のように、健全者が最初から差別するのも根拠がなく、おかしいですね。
  経済や差別をはるかに越える大きな視点で、結婚制度を見て、初めて身障だけでなく、ハンセン氏病や諸々の差別の根が見えてきた感があります。
  因みに、「恋愛や結婚は友情や仲良し関係の延長」と言っていた健全者たちは身障者や盲人などと結婚した例はありません。身障者、健全者の別なく、異性を恋愛対象とは見ていないわけです。マイホーム志向の強い異性とそれを夢見ての結婚に。聖書にあるような「魂の結びつき」の結婚とは明らかに異質です。マイノリティはマイホームには向かない。差別以前の問題ですね。本人の自由ですが、そのような人たちとは僕は友人にはなれなかったです。「酒を飲んで仲よく」しても友人にはなれないし。道は違っても互いの生き方を認め合い、尊重し合うのが友情であり、友人だから。そのような人たちの発想は僕は理解しますが、認めません。「異性と友人になれば、恋人や夫婦になれる」という助言はおかしいし、仲良し関係と友情も混同しているわけだから。又、そのような人たちは以上の身障運動や島田の事も理解できませんでした。当然かもしれませんね。ひひ
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