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2021年04月29日14:36

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A氏の言葉と男女愛

  例の東大法学部Aの1979年の発言である。


  「資本主義も、共産主義も変わりがない。根の大きな一つは結婚制度である。それは人々を分断させ、資本家と権力者の都合の良い社会に仕立て上げている。中国の毛沢東体制も同じである」。

  内、「共産主義」というのは、スターリン以来のソ連の独裁体制を指していた。Aに言わせれば「レーニン以来の」になるだろうか。レーニンや毛沢東も大嫌いだと聞いた事がある。


  当時の新左翼や身障運動家たちも、そこまでは言わなかった。戦前の結婚制度批判止まりで、戦後の結婚制度は高く評価して、その下、「純粋な結婚と愛」を求める人たちばかりだった。一時、Aはそのような人たちにも接近したが、考え方が合わなかったらしく、すぐ離れていた。

  しかし、結婚制度が崩れつつある今の日本社会を下敷きに見ると、Aの言う通りであると思う。確かに、戦前・戦後と結婚制度は人々を分断させている。男女愛も弱めている。

  意図的に昔の官僚たちがそうしたかは僕は判らないが、男女愛のエネルギーはものすごいものがある。西郷隆盛と奄美大島の恋人、坂本龍馬とおりょうとの激愛も、明治維新の原動力の一つになるなど、社会を根本的に変え続ける力がそこにあるわけだ。消す事は出来なくても、何かの形で封じ込めれば、その社会は安定する代わりに、進歩や変化のないものになるわけである。そこまで男女愛の事をAは知っていたかは判らないが、上べは結婚制度は安定しているように見えた1979年の時点でそのような事を言っていた彼の頭脳はものすごいものがあるように思う。


  僕の見た島田の3人の身障園生は二人はあくなく男女愛を求め続けていたし、寝たきりの文士の野口栄一君は随筆や詩に求める心を書き続けた。だから、パワフルで僕も印象に残っている。でも、未婚・既婚の別なく、男女愛をあきらめた状態の人たちは非常に無気力になるのではないか。倦怠期以降も離婚しなかった既婚者の中にも無気力の人たちもかなりいると思われる。男女愛をあきらめると、異性を異性として見る事が出来なくなるらしい。愛も生せず、人と人もつながない。「男は女なしで、女は男なしではいられない」と旧約聖書の初めの方にあるが、その男と女をつなぐのも愛である事は言うまでもない。

   因みに、以上の「純粋に結婚と愛を求めた人」は僕の知る限り、全部離婚。結婚制度が合わなかったと言うしかない。それから、「お一人様のすすめ」を説いている知識人たちも「結婚=愛」の古い図式にとらわれているとしか、僕には見えません。

   しまいに、「恋愛は友情や仲良し関係の延長」と考える人たちもどこにもいるようだが、そのような人たちに島田とか、身障者の結婚問題を話しても理解されなかった。「友人関係から発展させればよい」一辺倒。今までの僕と一番合わなかった人たちもそのような人たちだったわけです。そして、マイホームに憧れ、そのような人同士で結婚。没落も、真の愛の輝きもない人生を歩んでいます。それも彼らの選択であり、自由ですが、「友人から発展させれば」のアドバイスは他人にすべきではないし、過去の僕が一番否定したのもそのような助言発言です。男女愛の力を認めないいわけだから、僕なんかとは根本的に価値観が違っていると言わざるを得ませんね。


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