mixiユーザー(id:17922359)

2020年11月30日17:14

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絶望の反対として

 「いきなり人類愛・友愛」と理念を頭から叩き込む、コンパや活動を通して心に染み込ますと、「私・我々は何でもできる」と多くのメンバーは思いこんじゃう。又は、「教会組織=神」と信じると、そのような組織にいると「私・我々は何でもできる」と思い込んじゃうようだと。それは「絶望」とは対極の発想。傲慢そのもの。確かに、以上二つからは祈りは生れない訳だ。心通じない。例の伊藤節男伝道師はその会の一つを「して上げる主義。同情や傲慢」と言っていたが、同情も結果の一つに過ぎなかったと思う。実際はもっと深刻な問題があったと。
それと祈りなき恋愛は何なのか。以上だが、感情のぶつかり合いになったり、例の教会関係は性欲の追及に各自終始。恋愛でも、何でもなかった。非常におかしかった。単に身障者やマイノリティは差別されるという次元の事でもなかったわけです。
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