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2020年11月26日10:49

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「いきなり友愛」と、僕の大罪

「いきなり人類愛」はその会の役員でもムリである事が判ったので、規模を狭めて、「いきなり友愛」に変えた。出会った人たちと頭ごなしに友人になり、連携して福祉社会を作ろうと。会員の多くは別の場でそうしていった。僕も「いきなり友愛」は賛同し、受け入れた。別の福祉親睦会のK会でそうした。春と秋、群馬のある身障施設に訪問してワークキャンプしたり、福祉学習会やハイキングをボランティア関係の大学生と高校生が行なっている会である。度々話している通り、K会に器質性精神障碍とテンカンの重複障碍を持つX君が入り、キャンプ参加も希望したわけである。また、X君はそれまでに入った多くの会で端からトラブルを起こし、絶縁されている。非常に寂しそうな人でもあった。


  当時の僕は「X君とも友人になれば、問題は解決する」と思い、K会の人たちにもそのように話していた。会員たちも99%くらいは支持した。でも、実際は極めて甘かった。まず、彼は疲れると気絶・全身硬直の重い発作が出るので、キャンプ生活自体がムリである。それから、ささいな事で激怒して相手を殴る。その場面も見た。話し合い会もムリである。会員たちも困り、しまいには一看護学生が「X君とは友人になるな」と言い出し、結局は追い出し、会員全員に挫折感が。K会は潰れたわけである。

  新旧聖書、仏典と童話にも通じるような面白い所もいくらでもある。簡単に判る。X君も喜びそうな個所も多い。X君も無神論者というより、聖書も、仏典も聞く機会がなく、知らない人だった。当時の僕やK会会員全部がそうだったが。X君と一緒に聖書か、お経を読む会を作れば、X君とも友人になれた。聖書やお経をただ読むだけならば、口論にもならず、X君もなぐることはあり得ないではないか。X君だけでなく、全員が神仏の下、祈り合い、友人にもなれる。それで問題解決。当時は元気だった伊藤節男氏に聖書を読む役をお願いしてもよいし、縁があるお坊さんに頼んでも良い。今の僕ならば、必ず、そうする。現に、ミクシーで出会った精神障碍を持つ人たちはほぼ全員が教会に行っている。教会とミクシーしか、友人を作る機会がないそうである。何も精神障碍者だけでなく、全ての人たちに言える事である。祈りなしで何が出来ようか。

  つまり、X君はK会の人たちの神無関心で追い出されたわけである。追い出しや差別以前に、神に無関心だった事がそもそもの大罪。当時の僕もそうだし、「いきなり友愛」を受け入れた事もおかしかったわけである。僕も例の福祉会の影響を受けていたわけである。

  「聖書を超える理念」に話は戻るが、その理念は家父長制や国家を別にすれば、例の教育勅語とも内容が重なる事に注目している。教育勅語も神仏抜きで「いきなり友愛・仲良く・親孝行」。戦前社会は天皇が神とされた。学校の場で徹底的に教え込んだ。聖書も、仏教関係も断片にしか利用しなかった。天皇を超える「真の神や仏」はあっては困るからだ。絶対神を唱える宗教関係は弾圧されたか、不敬罪に問われれた。内村鑑三が不敬罪になった事は有名である。日本は急速に無神国家になった。人をつなぐものが消えた。その結果の一つが「ハンセン氏病患者への強制隔離」だったのではないか。そうだとすると、僕やK会の人たちのX君にした事もそれと同じだった事になる。神や仏を信じないと必ず恐ろしい事をするのではないかと。ハンセン氏病強制隔離でも判る通り、明治以来の大日本帝国は大罪を犯したし、戦後の日本国も平和憲法は良いが、無神論性格は変わらないわけで、大罪性格のままだと思う。無論、神を口先だけで唱えても、それを経済利益か何かの為に利用する国家も同様な大罪だが。アメリカもその一つで、その結果の一つがベトナム侵略だと僕は見ているが。後、1945年までのイギリスとか。歴史を見れば、たくさん出てくる訳である。

  「聖書を超える理念」も、X君追放も、明らかに明治以来の日本の無神論が大きな根にあり、厄介な事である。(「いきなり友愛」の人たちはほぼ全員がその後は挫折。孤独を好む例も増えたわけである。ムリした結果だと)


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