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2020年11月22日12:13

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フェイスブック投稿から

島田の小説を書かなければ、アメブロを僕は止めていたと思う。先日話した二人の女性以外にも、ろくな出会いはなかったから。男女、障碍の有無の別なく。ケンカにならなかった事が幸いなくらいで。
  祈りなき交友。ストレートに友情も、恋愛も生まれないし、又、文も祈りの代わりは果たさない。今はよく判る。その問題は僕の行った教派の戦争奉仕・レイプとその隠ぺい、島田療育園の挫折にも通じていた。昔のボランティア活動や、僕もいた身障会の挫折にも。その身障会だが、脳性マヒ障碍をつなぎに仲間関係を作り、社会変革しようとした。でも、最初から各人の話がすれ違った。僕が退いた後、複雑な大ゲンカがあったらしく、会は潰れ、人伝手に聞いたところ、ケンカのトラウマで「孤独を好むようなった身障者も多い」。脳性まひだろうが、何だろうが、障碍が人のつなぎになる事はあり得ないのに。会員たちは神仏や祈りのつなぎを本当に知らなかった。学校でも、家庭でも教えられなかったわけだから。学校は元々知識を授ける場だから、何も先生たちのせいでもない。母校の光明はそれ故に非難はしてはいけないと思う。
  ただし、歴史をたどると、明治半ばに作られた教育勅語、及び、明治初期の廃仏運動にぶち当たる。前者だが、祈り抜きでいきなり「仲よく」とか。仲良くも問題があるかもしれないが、祈り抜きでそれは可能なのか。また、僕の出会った多くのクリスチャンたちも、「いきなり愛」など、考えてみれば、教育勅語に似た発想で動いているわけです。それよりも問題なのが、日本人の信仰心を根絶やしにしようとした廃仏運動。代わって、当時の天皇を国民に崇拝させて、国をまとめようとしたわけです。そこから教育勅語などにもなるし、軍備と資本主義強化やハンセン氏病患者の戦前の隔離政策にもつながるわけです。
  とにかく、日本には難しい社会の歪みがあるようですね。
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