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2020年11月17日13:50

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場違いの話し合いのおかしさ

1970年代後半に入っていた福祉会で、僕も統合教育の名前だけは知った。その福祉会は失敗し、早くに潰れたわけだが、その後の僕は反統合教育の意見を周囲に述べるようになった。ITがなかった時代だから、まだ良かったと思う。最近、気が付いた。統合教育を経験したわけでも、その現場を多く見たわけでもない。ならば、賛成・反対は両方言えないと。更に思ったが、統合教育はケース・バイ・ケース。仮に99%成功しても1%失敗があれば、賛成とは誰にも言えないし、逆に、99%失敗しても1%成功があれば、反対とは誰にも言えない。微妙な性格の問題なのだ。


  何故、後年の僕は反対したのか。その福祉会に対しての反対に過ぎなかった。過去否定発言。又、やはり、その元会員で、「反学校。学校なんかない方が良い」という意見を持った人が僕の知る限りでも3人いるが、彼らも教員経験もないのに、おかしいわけだ。それも以上の僕と同じだろう。その元会員にはそのような人たちは多いかもしれない。

  学校の場ではないのに、学校の事を話し合う。しかも、会員のほとんどは教職には関係ない事ばかりしている人。ならば、話し合われている事は現実の学校ではないわけだ。架空の学校でもない。その会自身である。実際、反学校意見の人達は非常に過去否定が強い訳でもある。

  何も学校関係だけでもない。その前に、その会はハンセン氏病関係の話し合いをしたが、僕には理解不可能だった事もあり、その期間はその会よりも、世田谷の身障会の場によく行っていた。これで僕は良かったと思うし、仮にハンセン氏病関係の話が判っても、その会の事しか見えなかっただろう。

  その他、80年代に行った例の教会関係は「場違い話」を牧師含めて、当り前のようにしていた。中には、「公立学校廃止」の意見を持つ人も出た。教会に強い不満がある人でもあったが、教員でもないのにそのような意見を言うのはおかしい。過激にも、反社会言動にもならないと思う。その人の本音も、今の僕が思えば、「その教派の廃止」なのだから。また、学校以外でも、ハンセン氏病や在日韓国人のもんだいを当人たちがいない場で話し合っても、各人に偏見が新たに生まれるだけであった。強いて言えば、僕は偏見が生まれる場の一つを見てきたと言おうか。「場違い話し合い」すると偏見が生まれてくるのかもしれない。良くないと思うが。

  とにかく、僕は反統合教育も話せない事に気が付いて良かった。また、「顔が醜いから嫌われる」は伊藤まつさんの切実な声であり、それは世間に述べられるが、その会で話し合われたハンセン氏病関係も広められないだろう。役員たちの言う事が判らなくて良かったし、その会合に出なくて良かったとも思う。場違い話し合いはしたらいけないね。


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