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2020年11月16日17:09

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「一番の親友」の補足

伊藤節男氏は「人間関係は、個人と個人」でないといけないと口癖のように言っていた。何分、無教会派の伝統らしい。一方では、キリスト教関係の論文に「人は神なしでは救われないし、他人ともつながない」といつも書かれていた。


  つまり、人間関係は、「神+個人と個人」と言われていたわけである。ただし、神は人ではないから、「神と個人と個人の3人」とか「3者」という表現は厳格に避けたわけである。学校みたいなゆるやかな関係の所は構わないだろうが、何かの会派を作ると「愛は生れず、人間関係や行動も狂う」とか。1972年の日本の連合赤軍の例も挙げて、詳しく説明してくれた。会派も「しょせんは、原罪の集まり」に過ぎないそうだ。「人間は皆原罪を持つ」とも。また、「仏教を信じている人は、神ではなく、仏でも良い」と歎異抄も引用しての論文も拝見した事もある。確かに、キリスト教も、仏教も、会派を作ると凝り固まり、排他的もなり、ケンカも多い。戦争した歴史も沢山ある。又、政治関係は言うまでもない。会派は本当におかしい面が自然に出るのかもしれない。伊藤氏と出会った頃の東京も、多くの福祉会や身障会が会派を作り、内外でケンカばかりしていたからね。見方が自然に狂っていった会も多かったし。


  会派が嫌いな人はどこにでもいる。神仏には無関心の人が伊藤氏を真似た所、孤立した事があった。僕自身も、信仰心みたいなものは波があるため、「個人と個人」の付き合いをしても、自力主義で傲慢になっている時はケンカしたり、友人を作れず、孤立している。寂しいわけでもある。聖書や歎異抄、スピリチュアルなものに関心が強いとか、無性に祈りたい時は人間関係はスムーズになっている。僕の場合、信仰と傲慢の間でいつも揺れ動いているから、尚更判るわけである。

  寂しさから解放されたい時や友人を作りたい時も、自分の好きなスタイルで良いから祈る・念仏する事だろうし、恋人を得る唯一の方法もそのような事だろう。(因みに、伊藤節男氏は知るわけもなかったが、例の教派のレイプと隠ぺい。「教会組織が神」は人間に過ぎない構成員が自らを絶対化する事であり、極めてごうまんな事である。無神論者よりも傲慢だと思う。...)

  伊藤節男氏からは、恋人作りのヒントまで与えてくれたわけである。素晴らしい親友である。今も心で交友しているわけである。


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