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2020年11月16日11:46

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僕の一番の親友

伊藤節男・無教会伝道師。1924年生まれ。1998年1月昇天。僕から見てかなり年長である。


  知り合ったのは、1977年5月。当時、僕はVYSという福祉団体に所属。その5月から東村山にある多磨全生園を訪問したが、そこで知り合い、当時住んでいた小平市のお宅にお邪魔させていただき、VYS会員数名と一緒に話をした事が思い出される。僕と伊藤氏は非常に合うものを感じ取ったわけだ。非常に早く僕の個性や発想を氏は認めてくれて、掴んだわけである。また、氏独特の人生観や経験談を熱っぽく語ってくれた。伊藤氏に会うのが楽しみで、当時の僕は全生園に行ったわけである。

  その前年から伊藤氏は全生園の伊藤まつさんを訪問するようになった。当然、知り合った直後から伊藤氏はまつさんに僕の事を詳しく伝えていた訳である。僕が伊藤まつさんと知り合ったのは、その年の7月だが、初対面とは思えないだけ、僕に親しげに「来てね」と声を掛けた理由も明らかにそこである。どのような人でも、初対面から親しくできる相手はいないわけだから。後は、伊藤まつさんの部屋で、伊藤氏とも時々会い、楽しく会話した事も思い出される。

  僕の人生から伊藤節男氏を消せば、どうなるだろうか。まず、僕は全生園は一度で行く事をやめたはずである。当時のVYS役員たちは「ハンセン氏病の事を世間に伝える」事をしようとしていたようである。でも、当時はその事は報道されていなかったので、僕は純然たる医学問題だと思っていた。また、役員たちの話が抽象的で判らなかったので、その運動はやる気がしなかった。全生園に行く事を止めたら、伊藤まつさんとの出会いもなかったし、仮に出会っても、僕の事は知らないから、親しげに声は掛けなかっただろう。つまり、伊藤まつさんとの関係も消えるわけである。

  それだけでもない。野口栄一君などの島田身障園生たちとの出会いも消えるわけである。島田療育園に初めて僕が行ったのも、その年の5月だが、活動先輩の意向で、植物人間みたいな室に行った。そこは寝たきりで、話しかけても声を返さない最重度重複の園児ばかり。体も極めて弱く、短命。明らかに医学の次元の問題の所である。そこは行くのを一度で止めたし、ハンセン氏病関係の件とも絡み、「VYSは医療啓蒙の会に変わったのかな」と思ったほどだ。そこに全生園行きをやめれば、島田も行く気がしなくなるし、それ以前の問題として、VYSはその5月で止め、島田にも、翌年の高島平子供会にも行く事はなかっただろうと思っている。つまり、伊藤氏を消せば、島田や子供会も行っていないわけである。恐らくは、世田谷の身障会の運動をしただろう。「運命を変えた」。親友の証拠である。


  伊藤氏は何かの会派が大嫌いで、「仲間意識ほど、当てにならないものはない」と言っていた。言葉の問題だが、仲間意識=同じ命を持つ人間、とすれば、仲間意識は結構な事だが、そうではなく、狭い会派意識の事を指しているわけだから、その通りである。何かの会派にのめり込み、会の為に動き、結果的に反社会行動になる事は、オウム真理教など、いくらでも例がある。「会の為」からは愛は生れない。

  最後に、僕への遺言みたいな形で、結婚関係の助言もしてくれている。「愛は最高です。その愛を掴んで下さい」。思い出し、「結婚」という言葉を使っていないのがミソである。「神は愛なり。愛をひたすら求めなさい」に他ならないわけである。今は天国の伊藤節男氏に感謝して、終える事にする。そのような親友を持てて僕は良かった。


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