思えば、共同体と組織の区別が付かないから、70年代に僕もいた世田谷の福祉関係も狂ったと。構成員の求めた最小公倍数も「共同体」だったと思う。ボランティアも、身障者も、当時の僕も。でも、構成員全部が地域共同体のない所で育った。例の高島平団地と同じだった。そして、構成員は、学校の勉強のように「あくなきまで目的を求め合う会」しかイメージングできず、組織にこだわるようにもなり、内部対立も起き、潰れた...。
明治以来の日本社会で随所に起きている現象。会社、政党、新左翼も、共同体と組織の区別がつかず、中途半端になり、狂っていっている。戦前の日本軍もそうかもしれないし。外国も多いかもしれない。旧ソ連が潰れた一因でも。そう言えば、各国共、「国家共同体」を掲げながら、目的ばかり追求するなど、実質的には「組織」であり、共同体なんかでもなかったわけです。
僕も共同体の事は例の教会関係から知り始めた。それまでは、組織と同じ意味でその言葉を使っていました。教会は自滅しましたが、行って良かったわけです。行かなければ、今も知りませんよ。
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