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2020年05月25日11:10

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恋愛などの事

独身男女が交友し、気持ちも噛み合い、互いの魅力も少しずつ見え合うと、好きになり合う。そうすると、互いの命がまず活性化する。これが恋の始まり。後、身体と脳が活性化して、エンドロフィンという脳内ホルモンも出て、心地よくなる。恋愛を科学的に見ると、以上だろう。
 特に目立つのが脳の活性化。まともな恋愛の場合、結婚生活想定もするようになるが、考えてみれば、それもものすごい思考を要する事であり、脳が活性化した時でなければできない事だろうし。その他にも、例えば、仕事のアイデアとか、創作活動も恋愛の時はものすごく進む。ショパンの音楽は典型例である。
  ところが、「やさしくし合う」関係だとそうはならない。1970年以降、日本ではそのような男女の関係が目立ち、「神田川」という同棲フォークにも記録されている。僕が若い時に目撃して、考察した多くの人達の「恋愛」とはこの事だった。単に男女がベタベタし合うものである。命や脳の活性化などは起こらない。そのような多くのカップルは、男女共、アイデアや創作などが鋭くはならなかった。小説などにある恋愛とは異質なものばかりで、若い時の僕は変に思っていた。無論、続かないわけである。
  時は経ち、いつの間にか、以上の関係も廃れた。90年ごろから「援助交際」という言葉が現れて、今度は肉体ばかり求める交際になった。日本の場合は少女が目立つが、肉体追及は世界的な傾向らしい。今度は身体の「性機能」だけが活性化するものである。どう見たら、良いのだろうか。僕は判らない。おかしいとは感じるが。性機能ばかりで、脳が活性化しないもの。人間らしいとも言えないし、また、動物の性は生殖目的だから、それとも違う。ますます判らない。...。
  とにかく、命が活性化して、その現れとして脳が活性化する恋ならば、大いにすべきだと思う。又、命の活性化が最も具体的に表れるのが脳ならば、現代科学では、人格=脳になるのも止むを得ないだろう。科学で解明できない事は多いにしろ、科学から飛躍した事ばかり言っても始まらないわけだし。
 とにかく、恋愛は深い問題がありそうである。
(島田の一身障男性園生が女性職員に恋をして悲恋に終わったのが72年。好きになったにしろ、相手のやさしさを求めてのものだったようだ。園生たちも歌謡曲などを通して世間の流れに常に染まっていたから、「神田川」的な恋愛の一種だったと今の僕は見ている。例の「やさしさからの統合教育運動」も同じ流れ。更には、身障運動家間のケンカが多発したのも。「内輪にやさしく、仲良く」ならば、違うグループとはうまくやれないし、また、内輪にも発想が違う人がいたら、仲良くできないから、強引に仲良くさせようとして、たちまちケンカになってしまうようであった)
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