mixiユーザー(id:17922359)

2020年02月19日10:26

40 view

仲間意識に基づく社会とは・旧友たちにあてたもの

  先の「脳性まひ者だけでもなかった」の続き。会や民族、国などの狭い仲間意識を核にした社会を想定すると、アリの社会を僕は思い浮かべます。アリは巣ごとに独特のフェロモンを持ち、それを通してあのような仲間関係を作っています。同じ種類でも、巣が違うと、出会えば、戦争しますね。また、組織・共同体の為に構成員は生きている。その助け合いも、巣の組織の為のものです。アリは脳が非常に小さいから、社会を作っても、そのような事しかできません。アリには愛や個性の観念はないわけです。
  僕の見てきた会の中で、最も仲間意識にこだわっていたのは例の教会関係でした。仲間意識と愛を本当に取り違えていた。牧師たちほど、ひどかった。戦前、それも明治からだそうです。戦前は日清戦争以来の日本帝国政府の戦争政策にずっと協力してきたし、戦後はレイプ牧師を二人も出すなど、明らかに愛に欠けていましたが、それも当然でしょう。愛と仲間意識の区別がつかなければ、見方も狭くなり、戦前は日本にしか目がいかなくなった訳だし、戦後も一人一人の人権、特に「より小さき者」の心や人権に目が行かなかったわけです。僕がそこで出会った若者たちは、東京・地方の別なく、「猛烈な寂しさ」を訴えていましたが、愛がない以上、猛烈に寂しいですよね。仲間意識を追及すればするほど、人は寂しくなるようです。愛も個性もないから。また、多くの変な新興宗教は大体「仲間意識」を拠り所にしますが、僕が行った教会関係も同じでした。
  とにかく、アリの社会を参考にすると、狭い仲間意識のおかしさや、個性尊重、愛の大切さも見えてきますね。

4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する