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2019年12月16日14:15

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教育勅語に欠落していたものと現代日本

フェイスブックで付き合っている一友人が近ごろ、教育勅語に関心を持ち、いろいろと書いてあったので、僕もそれで調べて、客観的に考えてみた。「夫婦相和し」とか友人間の友愛を説くなど、色々書いてある。インターネットには現代日本語訳も出ているから、興味のある人は見るがいい。


  細かい事は書かないが、一つ、重大な欠陥がある事に気が付いた。「意思疎通」に関する事が一言も書かれていない事です。例えば、「夫婦」も細かい意思疎通ができなければ、「相和し」にはならないわけである。友愛も同様。何だろうと思いました。意志疎通を欠いて、愛とか友情をしようとしても、押し付け合いになり、ケンカ別れになるだけです。僕も多くの会で、そのような場面を見聞きしてきましたから、よく判ります。実際、皆様もよく知っての通り、昭和初期に陸軍と海軍は意思疎通を欠き、日米戦争中もケンカを度々していましたね。政治家間の意思疎通もうまくいかなかった。事実が公に伝わらなかっただけで、戦前から日本では離婚も多かったわけです。意志疎通を欠けば、本当に何もできません。ラジオで昔聞きましたが、スターリン下の旧ソ連が当時の日本の教育勅語を真似、ソ連流にアレンジし、ソ連の小中学校で生徒たちに覚えさせたわけです。余り知られていませんが、そのような事もありました。ソ連は最初は国勢が盛んになりましたが、次第に国内の意思疎通を欠くようになり、1980年代には日本の新聞にも「離婚増。恋愛もできない若者たちが増えている」事が伝えられ、その後は本当に滅びました。その後の日本もソ連の後を追っている気がしてなりません。

   教育勅語は終戦で廃止されましたが、それに通じる「仲よく」みたいな事は道徳教育に取り入れられ、引き継がれました。そうでしょう。ケンカを奨励する道徳教育はありませんからね。但し、そこでも、「意思疎通」は重視されたのでしょうか。余りされていないようです。大体、学校は構造的にそうだから。授業中は先生の講義を生徒が聞くスタイル。私語は禁止。短い休み時間しか私語はできません。又、付き合うメンバーも一定している。その場合、次第に説明などの言葉を使わずに何となく心が通じるようになり、結果的に意志疎通能力は落ちるわけです。又、以上のスタイルならば、学校では意思疎通能力は余り必要とされないから、見落とされる。教育勅語を作ったのは実際は先生上がりの教育役人。「意思疎通」が欠落した原因もそこかも知れないと思うわけです。ならば、戦後の道徳教育でも付け加えられなかったのも判ります。

  それでも、地域社会の交流が活発ならば、それは補えますが、戦前から都市部はそうではないし。意志疎通のできない子供たちがたくさん出るわけです。明治期にすでに都市部では地域社会は衰退していきましたね。戦後、現在ともっと衰退している。説明するまでもない、今の日本社会の由来の一つも判りましょう。

  因みに、僕の育った光明養護学校も基本的には公立学校と同じスタイルでした。でも、光明養護学校にボランティアの人たちがよく来て、生徒たちに色々な話をしてくれたし、生徒たちもよく話をしました。そのボランティアの一人に、若き日の原一男氏もいましたが。今は立派な映画感覚ですね。そのような人たちの訪問が僕などの意思疎通能力を高めてくれたと思います。それから、先生によっては私語も自由にさせたり、先生の方から生徒に質問する例もあり、それも意思疎通能力を高めてくれたわけです。

   また、今のヨーロッパでは、授業中の討論もさせるなど、意志疎通能力向上にも通じる事をしているようです。

  とにかく、何をするにも自分の事を相手に伝えたり、相手の事を聞く事は欠かせませんね。

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