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2019年11月15日11:17

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もう一つの唯脳主義=感性主義の恐怖

唯脳主義は「我、考える故に我有り」だけではない。「感じたまま」も脳の働きには違いないから、それももう一つの唯脳になる。ただし、それについて語った大哲学者はいないから、問題にされていないだけで。強いて言えば、日本ならば、戦前の石原莞爾、戦後の三島由紀夫、石原慎太郎くらいだろう。


  思考・理性中心にしろ、感性中心にしろ、実際は古代からあったわけである。新約聖書のファリサイ派は理性主義だったらしいし。感性中心は党派は余り作らなかったが、人々の間に広く、深くあった。特に「感じたままに人を評価・選別する」。上べだけを見て。それ故に、顔などが醜く感じられてきたハンセン氏病患者たちは古代から差別されていた。新旧の聖書にも書かれてある通り。それだけでもその恐ろしさと差別性は判る。更には、世界各地で4K(きつい・汚い・臭い・苦しい)の仕事をしている人たちは次第に差別され、身分制とも絡み、賤民として差別されていった。網野善彦著「日本の歴史・中公新書)」には日本のその歴史的ないきさつも書かれてあるから、興味がある人はそれを読むといい。更に、古くから世界各地で生まれてきた奇形障碍児を虐殺もしてきた。形が違うから、感じが悪いとでも思ったのだろうか。世が世なら、乙武氏も生後間もなく、殺されたわけである。手足は付いているが、不自由な障碍児もそれが判った時点で殺された事もあったわけだし。

  以上は全て「感じたままに」。理屈を並べたナチスも、実際はそれでユダヤ人やロマ、精神障碍者、遺伝性障碍者、ロシア人を虐殺したわけである。あるいは、知識人や高齢者を虐殺したポル・ポトも。どちらも実際は感性主義だった。オウム真理教は感性も利用したわけだし。

  理性主義は残忍性への歯止めが効くからまだましかもしれない。感じままにになると、抑制も効かないから、虐殺にもなるわけである。最悪かもしれない。

  僕の行っていた福祉会にも「考えても限界があるから、感じたままに社会変革しよう」という声も複数の人達から聞いたが、内紛などもあり、何もできなかった。それで良かったと今は思う。

  僕の行った教会関係でも、「信仰を理性で捉える」と「感じたままにイエスを受け入れる」というものがあり、対立というより、個人個人もどちらかに揺れ動いていた。僕もそうだったし、全部の牧師たちもそうだった。後年、僕は知ったが、イエスの説いた愛は理性・感性の両方を大きく越えたものである。その教派の両方の発想は大間違いだったし、世界を見ても、神父の性事件とか、激しい内輪ゲンカ、聖書原理主義などを見ると、僕の行った教派と同じ状況があると思う。宗教だけではない。ヨーロッパのネオ・ナチも感性主義には違いないし。また、「感じるままに」結婚した人たちには離婚も多いわけだし。

  感性なるものも人間の脳が作り出した幻想にしか過ぎないわけである。感性・理性はどちらも限界があるが、より感性の方が恐ろしいようである。とにかく、その2つをはるかに個々人が越えていけば、一切の差別も、離婚も消えていくように思われるが。その日の到来を祈る。

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