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2019年10月17日14:17

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共生根拠を求めて

思えば、若い時からの僕も、某福祉会や身障会の多くの旧友たちも、共生根拠を求めてキャンプや子供会をしたり、島田療育園や(ハンセン氏病関係の)多磨全生園に行ったり、議論を重ねたわけである。答えが出ないから、みなジレた。中には、早くに諦め、自分の介護人獲得ばかりをするようになった身障者とか、根拠を友情みたいな抽象的なものに求める人も出たが、大部分は答えは出ないものの、納得はしないままだった。僕は1956年生まれだが、やはり、それより10年くらい年長の全学連運動した人たちも基本的には同じだった。(前も話したが、全学連はゲバ棒持って、暴れる活動が目的だったわけではありません。それはその一部が結果的にそうなっただけです。大学と社会の関係のことから、人権とか福祉などの色々な事を論じたわけです)。


  戦前も作家や哲学者の他、明治後半から大正時代(1890年ごろから1925年まで)に掛けて、以上と同様な市民運動家や身障運動家、被差別運動家も輩出している。盛んに文筆活動する例も多かったが、やはり、共生根拠に悩んでいたわけである。それは世界共通の現象だった。元々はムッソリーニもそのような運動家だったわけだし。「市民連帯」に共生根拠を求めたが、それは非常に抽象的な観念だし、自分が政権を取ると、今度は独裁者になり、ヒットラーと手を組み、ろくなことはしなかった。更に歴史をさかのぼると、マルクスが経済と労働を根拠に共生を考えたわけである。後のスターリンなどに曲げられたし、経済と労働はある程度は共生根拠にはなるが、やはり、薄いと言わざるを得ない。

  話は僕の経験に戻るが、身障会や福祉会が潰れた後に行った教会関係も、建前としては神が人をつなぐことになっているのに、そこにいた者のほぼ全員は「何が人をつなぐのだろう」と悩んでいた。セックスが人をつなぐと公然と述べていた人もいた。僕含む、その場にいた人たちは一様に「それはおかしい」と言ったが、まともな答えは誰も出せなかった。又、その教派は教会組織に非常にこだわる傾向も強かったわけである。キリスト教と言えば、全生園の元患者とは「個人と個人の関係」でなければならないと、信徒たちのサポーターたちは伝統的に信じていた。自らも自分と神との関係にこもる感じで、孤立が強い。「信教の自由」と憲法には書かれているし、それはその人の自由かも知れないが、元患者にそうしても、相手の為にはならないだろうに。そこからは元患者の社会参加の問題も出てこないし。ただし、僕の行った教派同様、世間の共生根拠の乏しさを受けたものであることもよく判る。「このままではいけない」と思っている人と、「自分が神の恩寵に預れれば、それで良い」と思う人に二分されているように見えた。因みに、元患者へのそのような対応だが、若い時の僕は訳が判らなかったが、今は否定的である。とは言え、僕は伊藤まつさんという元患者と付き合わさせて頂いたが、絶対に「個人と個人」にはならなかった。何故なら、僕には重い身体と言語の障碍があり、そこに行く時は誰かサポーターと行っていたからである。まつさんが昇天するまで行き続けられた秘訣もここにあったと今になり、気が付くわけである。もし、高性能の介護ロボットがあり、僕も一人でまつさんの所に行っていたならば、僕の性格からして、すぐに煩わしくなり、1年で止めたと思う。実際、行き出しても止めるサポーターが見た限りでも非常に多かった。特に、クリスチャンの人に多いと。そこから、ニーチェの「神の死」も思うわけだ。でも、そのような事も見た事は、共生を考える上での貴重な材料にもなったと。


  そして、最近になり、「日本社会の歴史(網野義彦著・岩波新書)」で、縄文時代に身障者が大事に扱われた事を知り、考え込み、更に最新の遺伝子科学も絡め、遺伝子がフルに発揮されたら共生社会も十分にできると思うようになったわけである。某福祉会や身障会に行き、非常に良かったと思うようになった。


  最後に、これからはポスト資本主義だけでなく、ポスト組織・大家族・個人主義を目指さないといけない気がする。ポスト資本主義だけでは経済構造だけの変革になり、価値観の問題は出てこないのと違うかと。価値観が変われば、福祉の面は勿論、信仰面も変わり、自分と神にこもる人とか、宗教組織にこだわる例も非常に減っていくと思うわけであるから。家族主義もエゴには違いないし。例えば、明治維新も、フランス革命も急激に変わったように、今後の社会も予想は誰にもできないわけである。

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