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2019年05月17日17:17

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旧友たちにあてたもの・VYS崩壊と全生園

今日は(僕も入っていた)東京VYSが事実上潰れた事を話そう。77年夏、ハンセン氏病療養所の多摩全生園に交流合宿。当時の自治会の人達と交流会。彼らは色々言っていたようだ。僕は当時は彼らの話が判らなかったが、戦時中に非常に虐待された事を「健全者が虐待した」と憎しみを込めて話したようだ。虐待当時の社会・政治・経済・法律・旧憲法の事は語らず、ただ「健全者が憎い」と。それでVYSの人達の半数は真に受けて心が深く傷つき、もう半分は(僕もそうだったが)話がさっぱり判らず、そこから難しく考える癖も付いた。どちらも「共に生きる、はウソだ」と思うようになり、社会について何も考えられなくなった人たちも出たほどだと。そこから福祉や社会に無関心になっていった。S園に行っていた人たちも、実際は何もできなくなったし、子供会関係どころではなくなった。心の傷は長く続き、次第に潰れていった。78年、世田谷の一身障者が母親が死んで生活介護を求めたが、「同情しても仕方ない」という感じで、誰も関わらなかったし。無論、新人を増やす事もしなくなった。仲間に耳が不自由な人がいるのに、手話にも無関心になったし。心が傷付くとこうなると。恐いね。
  元患者たち。自治会のほかにもそういう人が多い。昭和一ケタから終戦の間に収容された世代ね。当時は日本中が障碍者や元患者への差別意識が非常に強くなった時代だと。心に傷ができたのは仕方ない。但し、だからと言って、健全者全部を恨むのもおかしいと。更に、世代が違う人たちまで恨む事はないのに。もっとおかしい。社会的・文明的に虐待の原因を考えないから、「健全者が憎い」にもなるのかね。そして、自分たちだけの世界を作っている。鉄腕アトムに出てくる「ロボット国」みたいに。恐ろしい事だし、ライ予防法もこれでは長く続いたわけだよ。共生意識はないわけだから。
  77年当時の僕はS園の事ばかり考えていた。自治会の人達の言う「虐待」は当時の全生園にはなかった。S園はあったから、「S園の方がひどいじゃないか」と思い、自治会の人達は相手にしなかった。向こうも僕を相手にしなかったが。もし、自治会の話が当時の僕に判ったら、考え方が違うから激しいケンカになったと察していますが。それから、僕は伊藤まつさんに個人的に会いに行ったのであり、全生園に行ったわけではなかったわけです。全生園については、最後まで問題意識は持てませんでした。
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