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2019年05月16日13:39

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恋愛・結婚、禅寺・修道院の遺伝的仮説

  縄文人やネアンデルタール人の「共生」を考えている内に気が付いた事だが、その後の身分制確立➔封建制成立➔資本主義などの唯物的価値観全盛に歴史は推移したにも関わらず、共生遺伝子も受け継がれ、随所で発揮されているのではないか。その二種類かもしれないのが表題に書いた事である。恋愛や結婚の件からお話ししたい。


  どちらも「性的遺伝子+共生遺伝子」の重複作用で起きるものではないのか。フロイト以来、性的な面の研究は進んでいるが、それだけだろうか。性的な面だけならば、恋愛感情とか、相手を思いやる気持ちは何故起きるのか。恋愛感情は脳内のエンドロフィンという脳内麻薬・快楽物質が降りる事が近年判ってきたが、それは何故降りるのだろうか。又、性欲だけならば、夫婦になり、愛情を持ち合い、結婚する事が説明付かないではないか。セックスだけして、後は別れる関係になるはずだと。二つの遺伝子の重複作用によって、夫婦という絆も生まれると。また、出産年齢を過ぎた中高年結婚とか、生物学的に見て、性的にどうしても劣る不妊・無精子症の人とか、身体障碍者・盲人・難病患者の結婚例も性的な要素だけでは説明が付かない現象である。それらも「共生遺伝子」なるものを設定して、科学的に理解できてくるわけである。恋愛感情の時のエンドロフィンも、共生遺伝子の関与も想定される。


  そして、純粋に「共生遺伝子」の働きを求めての生活が、永平寺などの禅の共同生活とか、カトリックなどの修道院なのかもしれない。それぞれ、仏性とか神の恩寵という説明も付けられているが。確かに、仏=大いなる命である以上、その通りかも知れないし、又、遺伝子を作ったのは神様だとキリスト教ではされている以上、どちらも科学的に考えてもおかしくないと思う。科学と宗教は本来は矛盾しないものだろうから。

  以上は僕が思い付いた仮説だが、遺伝子関係の科学はまだ始まったばかりである。本当に「共生遺伝子」みたいなものがあれば良いし、それは世界平和や福祉増進の強力な武器になるものだと思う。 

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