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2019年02月23日11:45

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旧友にあてたもの


学校の先生たちは教育を自分の生活・人生とし、療養所や施設職員、今のヘルパーさんたちは福祉を同様にしている。でも、ボランティアはそうではないからね。「全生園職員たちは我々に冷たい」と一VYS会員の発言も思い出されたが、仕事でやっている訳でもないのに、教育やハンセン氏病差別、施設社会化の事を論じて、口出しされたら、彼らはどう思うだろうか。仕事へのプライドを踏んずけられる想いがして、不愉快になる事が十分想像されるし、間違いないだろう。
 統合教育、施設社会化など、77年以降のVYSが話し合い、世間に伝えようとした事も、本当は先生や職員にならなければできない事だったと。労働と生活軽視の気風がVYS内にあったし、理念書にもその2つに絡む事は一切書かれていなかった。欠陥理念には違いなかったが、それに書かれていなかったとしても、軽視はおかしかったと。
 だから、何話しても抽象的になったと。話している本人も訳が判らない。確かに、自分の生き方に絡めないとそうなる。先生や職員ならば、ありえない事だね。
  抽象的な話ばかりすると、その癖が付くようだ。VYSから離れた場でも後年も抽象的な話ばかりして、周囲とうまくやれないとか。無論、男女交際にも強い悪影響が。抽象的な話ばかりしていると、個性が他人から感知されず、はっきりしない人格としか見られなくなるから。これでは、男女共、異性から好かれない。東Vのかなりが恋愛レスにもなったわけだよ。
  僕は伊藤まつさんとは付き合ったが、まつさんは「ハンセン氏病差別=顔が醜いから嫌われる」という考え方だった。それも大事にしろ、ハンセン氏病差別はそれだけでもないからね。根はいくらでもある。僕も理解するとして、職員にならないと全貌は掴めない。一部の話から世間に伝える事は無責任で非常に良くない。第一、正直言って、世間に伝えたいとも思わない訳だし。理由も、ハンセン氏病問題は僕の生活に余り関わってこないから。交友とか友人関係では社会活動にする要素が非常に弱く、中途半端だと。これが恋愛感情ならば、違ってくるわけだが。因みに、S園では、3人の身障園生と恋愛や結婚の問題を少しだったが、話し合った。それが印象的で、いつまでも心に残った。今もその小説が書ける根本原因もそれだと。恋愛や結婚の話をそこでしなければ、とっくの昔に忘れているわけです。
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