今ごろは子供会も春休み。思い出もないね。
しかし、子供会の続きはしているし、「麻薬投与など、過ちを繰り返さない為の記録残しや働きかけ」という感じで、S園の第二次活動が始まったみたいだ。むしろ、今回の方が社会性が強いようだ。ならば、かつて、S園の事を見聞きして良かったと思う。昔の見聞が大きな土台だからね。子供会関係にも言えるが。
77年全生園合宿。僕もそこでもS園の事ばかり考えて、医者や患者自治会の話を実際は全然聞いていなかった。その後、伊藤まつさんに求められて行き続けたが、全生園の事は関心も持てず、何も見ていない。86年の東V通信も書けなかったのもそのせいだと。当時はまだS園の根は察しも付かず、これも何も書けなかったし。当時はそういう時期だったね。
根が違う以上、S園と全生園の事を同時に理解して、活動する事は誰でも不可能である。僕はS園の方がはるかに印象が深かったから、全生園は見れなかった。東V活動だとも思えなかったし。それで結果的に良かったと思う。もし、逆なら仕方なかったのではないか。何故なら、ハンセン氏病関係は昔から元患者、医者、職員たちが本を出すなど、盛んに世間に働きかけている。元患者でも、医者でもない僕がそこに何ができるのか。それに対し、S園はすでに関係者たちは天国に行ったし、抗議運動した身障者たちも何故か語っていない。語り継ぐ人がいないと言おうか。でも、歴史の闇に葬って良い事ではないからね。僕がハンセン氏病関係に口出しすれば一種のお節介になるが、S園はそうはならない。因みに、まつさんと僕の関係は、まつさんの方から求めた。まつさんが終始主役だった。その面からも僕は言及には限界もある。でも、S園は僕から押し掛けた。ならば、僕は語って当然だと。
人は2つの事はできませんが、必ず一つの事はできるわけです。 判りますね。
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