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2018年03月28日10:50

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伝えられたS園(後援会含む)のクリスチャンたちの信仰心

  自分で「我々は神に選ばれた義人。S園に反対する者は悪魔」と信じていたと伝えられている。僕が見聞きした範囲内でも独善的で、おかしかった。それでキリスト教に偏見を持ち、創価学会に入った人もいたようである。僕もその事もずっと考え続けた。後年、ラジオ講座でたまたま、カルヴァンの系統の改革派が「自らを神に選ばれた義人」と信ずる発想だと聞いたので、一時はS園が狂った理由もその教派の思想のせいではないかと思った事もある。
  でも、改革派かどうかは今更検証はできないし、仮にそうだとしても、信仰は狂った根ではないと考えている。逆に、S園特有の狂った状況がクリスチャンたちの信仰心を歪めて、狂信的にさせたと。そのように考える方が自然である。「大人と子供・身障、知的障碍、植物人間状態の者たちを一緒に世話する」のならば、猛烈にしんどく、それで信仰を求めれば、落ち着いて聖書も読めず、狂信にもなると。どのような教派の人も、仏教やイスラムの信者を連れてきても、狂信にもなりますよ。マルクス主義ならば、過激派にも。何も勉強不足や傲慢のせいでもないと。
  それゆえ、すでに僕はS園に関する信仰心の件の考察は止めています。
  「資本論」を読み、それを当てはめて「S園当局は聖書を利用して職員たちをこき使い、搾取している」という見解も聞いた覚えがありますが、それも違います。第一、19世紀ロンドンの各会社とS園では全く状況が違うから、それは当てはまりませんね。
  今思うと、独善にも見える以上の言葉は、彼らの血の叫びだったとも見られます。それだけ根が深かったわけです。僕もS園に行ってから、ハンセン氏病療養所の多磨全生園に行きましたが、そこでもS園の事ばかり考えていて、戦前の人権抑圧みたいな事も全然目に入りませんでした。全生園には所属していた福祉会の会長・役員の号令で行ったまで。号令を掛けられなければ、僕も全生園には行かなかったわけですね。僕もS園クリスチャンたちの事を独善とは言えないわけです。
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