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2018年03月12日13:12

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S園関係の挫折感

  そこで一人の男子園生と園当局のトラブルに僕も巻き込まれ、78年初夏にはそこに行く事を止めたわけだが、その年の夏秋の僕は挫折感に悩まされた。当時の僕はそれを言葉に言い表す事ができなかったわけだ。


  今思うと、S園が狂った理由も、僕が止めざるを得なくなった理由も判らなかった・見えなかったから、「挫折感」になったと思う。例え止めても、理由が判っていれば、挫折感は出ないのではないか。1970年前後の学生運動の挫折感にも言えるはずである。

  でも、僕の場合はこうして非常に時間はかかりながらもS園の狂った理由や、僕が止めていった理由も判り、「大人と子供の分離」や「法整備・政治の大切さ」なども判っていった。どれも大切な事である。例えば、若い時の僕は福祉と「法整備・政治」との関係が判らず、政治にも無関心で、選挙も棄権もよくしたが、S園での挫折感がなければ、後年は放送大学を学んでも福祉と政治の関係には気が付かず、今も政治に無関心でいたかもしれない。全学連運動で挫折感を味わった人たちも後年は政治を非常に勉強されて政治家になったり、仏門に入り、立派なお坊さんになり、反原発運動もされている方もいるわけだし。挫折感と挫折は違うものである。

追伸として書けば、S園の記録文をフェイスブックで付き合っている施設支援員の方が「参考にしたい」とおっしゃって下さった。大人と子供の違いや人権の問題などが役に立つようである。うれしく感じたし、かなりの時間がかかったとは言え、S園に行き、僕自らもトラブルに巻き込まれたとは言え、それはムダではなかったわけである。S園にボランティアとして僕と一緒に行かれた人たちの一部もこの文章を読んで下さるわけだが、その旧友たちにもこの場を借りて、感謝も申し上げるわけである。

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