mixiユーザー(id:17922359)

2017年03月17日11:58

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77年に僕が全生園で何も見えなかったわけ

  元患者たちも、職員たちも、ライ予防法の事は知らされておらず、反隔離の声をそこでは誰も上げなかった事である。当人たちが声を上げなければ、問題にはならないのである。
  後年になり、本で少しずつ知り始め、2000年ごろにテレビと新聞で真実を知り、僕は呆れたと。
  そこに行き、「寂しそう」だったと述べた人も数人はいたが、寂しい人は今は世間にも多いし、いくら寂しさが判っても、当人が声を上げない以上は、そのような人たちも関われないまま、去った。
  それに対し、S園は身障園生たちが盛んに声を上げたから、僕も関われた。そんなものだろう。
  また、「何の為にその福祉会は全生園に行ったか」という問題はうやむやになったままだった。役員の言う事に会員はただついて行くなど、会自体が潰れかけていたので、全生園行きの振り返りも役員たちもできないまま、会の規約論争に話が移り、多くの会員は「思い出」として心に残ったようである。そんな中、僕は死ぬまで伊藤まつさんの所に行き、今も絵を公表できて、良かった。
  「知らされないと問題にはならない」。隔離した厚生役員の戦法は巧妙であり、いやらしい。何の為にそうしたのだろうか。判らない。
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