その事件自体は供述が済むまで判らないが、連想した事をお話ししたい。80年前後、首都圏では身障者同士がケンカ多発したし、ボランティア関係も同じだった。今までの僕はマイナスの意味に見ていた。そのように思う旧友も多い。でも、連想から考えて、見方を変えた。ケンカにも種類があるが、そのケンカは大体表に出る性質だった。という事は、エネルギーや葛藤が外に出て衝突した訳である。マシだったと。
話に聞いた愛媛や富山の例は本当は葛藤やトラブルの種があっても、各自が心を抑え、皆も隠し合って、問題が隠ぺいされ続けていたようである。確かに、トラブルの種が都会にあり、地方にはない事はあり得ないからね。人間が住み続ける以上は必ずその種はある。但し、見えるか、見えないかの違いはあるが。それで、「隠ぺいされた」場合、どんなことが起きるか。長い間は何も起きない。でも、種は在り続ける以上は、リスクは常にある。何かのきっかけで、大事になる。それが雪印事件であり、福島原発事故だったと。身障者間の「種」も何かのきっかけで、殺傷事件に発展し得ると。
また、隠すのが当たり前の社会では、気に入らない人に陰湿な意地悪をする事が多い。典型例は、江戸時代の「四谷怪談」である。美人のお岩が嫉妬され、毒薬をそうっと与えられ、あのようになるわけだ。実際、江戸時代は「上べだけ仲良く」が幕府によって奨励されたからね。こんな事件も起きると。怪談はフィクションだが、火のない所に煙立たずで、そのような事が各地で起きていたわけである。
とにかく、隠ぺいはどうにもならない。
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