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2017年03月13日11:51

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初童話の会話の根と、今の日本人の問題

  「お餅を食べたクマさん」について、複数の人たちから「会話が面白い」というコメントを頂き、感謝している。確かに、それには会話を重視して作った。その根は二つある。述べよう。


  一つは、夏目漱石の諸々の小説を読み、小説は会話も大切である事を学んだためである。確かに、「こころ」にしろ、「坊っちゃん」にしろ、会話が自然に盛り込まれている。会話が中途半端な小説は読者も話の筋などが判らないだろうし、童話はさらにそうだと思う。

  もう一つは、僕は幼少期から多く他人の会話を聞いてたし、自らも話してきたからである。僕は5歳の時に身障児の幼稚園みたいな所に母子入園したが、そこで母親同士の会話を多く聞いた。母親たちと保母さんたちのやりとりも。勿論、詳しくは覚えていないが、無意識的に僕も会話の事を体得したと言えるだろう。あと、12年間通った光明養護学校でも多く会話を聞いたり、自らも話した。児童・生徒同士は勿論、母親同士や母親と先生とか。先生同士も。やがて、介助員やボランティアの人たちが多く来て、会話は豊かになった。真面目な人生論も、日本とアメリカの安保条約みたいな社会的な話も、冗談もよくした。卒業後に入った多くの会でも、僕もその延長で色々と話している。僕には電話も困難なだけの重い言語障碍があるが、それでも色々と話していた。

  以上の延長が初童話の会話だろう。ところで、今の日本には会話が欠落していると言われている。「学校では子供同士が話をせず、ひたすらゲーム機を一人で操作している」という話をよく聞くが、それは大人の反映だと思う。例えば、夫婦間でも会話が欠けているし、学校でも母親同士の会話が昔よりも減っているらしい。ムリして会話するとケンカにもなる事が多いから、会話をしない人たちの気持ちも判るが、それでは、子供たちは更に会話せず、友人も作れないわけである。

  今後は更に会話を豊富にしたものを書いて、世間のこの面の問題に対していきたい。

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