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2017年03月09日11:34

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日本の官支配は一度崩れた

  1945年の敗戦で。それまではこれも一種の官であった日本帝国軍が滅びているし、やはり、御用宗教みたいだった国家神道も滅亡しています。更には、明治以来、強力な官であった文部省も力が衰えました。官僚を潰す事は正しくないにしても、民衆が官僚をコントロールする真の民主主義が生まれるチャンスでもあったわけです。でも、歴史はそうはならなかった。戦後は大蔵省(今の財務省)関係が非常に強くなり、又、戦時中に生まれた厚生省も強くなり、経済と暮らしの面から見えない形で人々を支配するようになった。政治家も動かして。戦前よりもソフトで、より目立たない形の隔離政策を行なった「らい予防法」はその典型例ですね。又、官主導で経済の高度成長が行なわれた反面、影の面として、戦前同様に国内グローバル化、地方文化切り捨ても行なわれました。


  でも、高級官僚たちの社会計算による予測はいくら緻密でも、人間や社会は計算通りに行くわけではありません。文化衰退ならば人々の絆も失われ、その結果、恋愛や結婚もできなくなり、これも官僚の想定外だった寿命の伸びもあり、少子高齢化を招き、年金問題に跳ね返っていますね。又、人口や工業の永久的な伸びを前提に多くのダムを作る計画がありましたが、人口減少と工業社会からの脱皮の為、水の使用にも限界が見えているわけです。    

  どの国を見ても今は官僚体制の曲がり角に立っているようですね。「ユーロから始まる世界経済の大崩壊」の著者のジョセフ・E・スティグリッツ氏はその本の中で、EUの官僚体制を完膚なきまでに批判しています。こき下ろしとも言える強い批判です。という事は日本以上にヨーロッパでも官僚支配体制が崩れつつあることかもしれません。日本同様に官主導で経済中心の国を作ってきた韓国も曲がり角に来ているし、中国も色々と問題が噴出している。更には、金正男を殺害した北朝鮮の状況もその一つと見る事ができるでしょう。

  1945年の日本が民衆中心の体制にならなかった理由は2つあったと思います。一つは食べ物がなく、人々の関心も社会に向かなかった事。もう一つは、まだ国民の教育程度が低かった事です。でも、今は違うわけです。これからは人々が官や政治家をコントロールする事も十分可能です。

  尚、文部関係とか経済関係と官の種類を分けたように、官も一くくりにはできません。でも、中には、一くくりにして「官はダメだ」と述べる人がいます。それはおかしいわけです。一くくりにして見ないようにして下さい。

  (「ユーロから始まる世界経済の大崩壊」は、日本では徳間書店から出されています)

  




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