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2017年02月23日13:46

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戦後日本のマイホーム主義、障碍者運動、政治家たちの誤解

  戦後の日本はいつの間にか、マイホーム主義となった。核家族で城を作ったみたいになった。結婚の目的もマイホーム作りと子供作りになり、男は経済性、女には家事能力と妊娠能力が求められた。それゆえ、昔の身障者たちは男も、女も当てはまらないから、こぞってマイホーム主義を攻撃している。特に、家事能力と妊娠能力の両方が身障女性たちは劣るから、女性身障者たちの反感は物凄かった。そのような人の声も聞いた事があるし、身障ミニコミ誌を読んだ事もある。
  但し、後年の僕が変に思ったのは、思想の別なく、身障運動家たちは「マイホーム主義=資本主義」と思っていた点である。両者を同じ意味を現す言葉として使っていた。実際は違うのである。大体、マイホーム主義は戦後日本にしか見られない言葉であった。早い話、アメリカやイギリスには「マイホーム」という言葉はないのである。核家族=親子だけの城も、外国には見られないものであった。身障運動家たちの述べた事も正しくなかったし、「資本論」にもマイホームの事は書かれていない。もっとも、資本論は非常に内容が難しいから、そのような誤解も生まれたのかもしれない。
  最近、気が付くに、昔の政治家たちも同様な誤解を保守・革新の別なく、していたようである。マイホーム主義を維持するのが資本主義や保守政治とか、社会主義や共産主義とか。方法は若干の違いがあっても、どの政党の目指している事も同じだった。それ故、選挙に常に棄権する身障者も知っている。案外、多かったかもしれない。外国の反応も。次第にアメリカでは「日本の資本主義は異質だ」との見方も強まったし、毛沢東が日本の某左派政党を「修正主義」と非難した事は有名だった。ソ連も日本の左派政党に違和感を持っていた。
  マイホーム主義はバブル経済崩壊で崩れ始めたようである。その後は格差社会になった。能力中心の。日本もやっと本当の資本主義が訪れたわけである。それがマイホーム主義を消した。ならば、以上の身障運動家や保守政治家たちの見方は正しくなかった事になってくる。もっと妙に感じるのが、マイホーム主義崩壊と共に身障運動も衰退した事である。標的を失えば、運動は成立しないが、ならば、マイホーム主義を標的としていた身障運動も成り立たなくなったと。これも日本独特の身障運動だったかもしれない。
  今はマイホーム目的で結婚する人は少ないようである。昔はマイホーム主義から外れたような考え方の少数の人が身障者や盲人と結婚していたが、今は身障者も結婚する気と出会いと、愛があれば、結婚できるようである。男女共、本当に価値観も一人一人違うようになってきたから。
  昔に話を戻せば、マイホーム主義の中で育った子供たちは社会性が身に付かないまま、大人になる。人との付き合いに難もある例も多かった。僕が若い時に福祉関係で出会ったボランティアたちのかなりもそのような人だった。付き合いができないまま、ボランティアするから、理屈を多くこねるなどの事があったり、地域ボランティアの場合は身障者たちと激しくケンカもしてしまったわけである。すでに過去の事だが、マイホーム主義には弊害も大きかったと言わざるを得ない。
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