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2017年02月17日11:53

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70年代後半の世田谷福祉関係と東京VYSの人たちが追い求めた福祉のカギの答え

  僕もそれらの一員だったが、その答えも「文化基盤によるつながり」だったね。当時の東京は福祉の事が世間に知られ始めた時期で、ボランティアを志す人や、身障者運動を始めたり、町に積極的に出ようとする身障者が増えていった。施設にいる身障者も友人を作ろうと、文通友人を求めたり。でも、それらの付き合いは障碍の有無に関係なく、ぎこちなく、厚い壁を感じていった。また、福祉関係ではない人たちも、大学や職場で友人や恋人を作れなかったり。当時の若者向けの雑誌にもそのような問題が取り上げられていた。小中学時代の同級生たちとも付き合いが卒業後は切れていく例が当たり前みたいにもなっていた。多少の違いはあったが、恐らくは東京の当時の若者のほとんどは人間関係のおかしさを感じていたらしい。


   それゆえ、僕の入っていた世田谷の身障会や、東京VYSでも「どうしたら、多くの人がつながれるのか。又、バラバラになっている理由は何か」を真剣に話し合ったものだ。「原因は差別ではないか」とか「学校だろう」とか。答えは出ないまま、仲間間の付き合いもうまくいかず、ケンカになったり、理屈をこねるようになり、両方共、早くに潰れてしまった。元構成員たちは答えを求める事をあきらめた人、追い求めたひとなど、個人個人違った。釈然としないものを持ち続けた点は共通しているが。僕はその後も求め続け、詳しくは語れないが、キリスト教関係に行ったり、放送大学で学んだりした。皮肉な事に、そのキリスト教関係の人たちも同じだった。つまり、「人と人をつなぐものは何だろう」と言い合っていたわけである。神などはつなぎになっていなかったようだ。そこもケンカが多く、落ち着かない所だったので、僕も早く去った。

  以上の答えは「文化基盤」だった。確かに、国内グローバル化と、第二次世界大戦中の激しい爆撃で、関東地方も先祖代々受け継がれてきた文化基盤は崩れて、地域の人たちのつながりも非常に薄く、子供たちはいきなり学校に行く状態。子供同士もまともに付き合えず、付き合いの訓練も足りない。それで大人になり、ボランティア活動や身障運動してもうまくやれるわけもない。又、学校も地域文化の延長ではないから、親のエゴも絡み、受験目的の機関にしかならない。文化基盤が地域になければ、学校も歪んで来る。当然である。又、僕の行った教会も本国の文化習慣をそのまま当てはめたものに過ぎない。日本の文化と折衷させる発想はない。それなら、文化基盤のないものになり、信仰も成立しなくなる。付き合いも難しく、ケンカにもなるわけだ。

  文化基盤は大切である。今の僕が思っているよりももっと大きな問題かもしれない。証拠がある。次のブログで御紹介したい。

  とにかく、昔の難問の答えを見つけられて、良かったと思う。

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