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2017年01月30日16:52

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僕の利己心を超越してくれた人たち

  つぶやきに「利己心はダメ」とか書いたが、表現ミスだったかもしれない。否定するのではなく、他人や社会を利己心に含める。一緒に自分のように考えて、共に生きると僕は述べたわけだが。確かに、利己心否定ならば、自己否定や自殺みたいにもなってしまうから。表現は難しいと思う。
  シャカは自分でそのような発想に至ったが、凡人の僕は多くの人との付き合いでそのように悟った。例えば、常に素晴らしい絵を描き、若い人たちに優しくした元患者の伊藤まつさんからも学んだ。又、キャンプ関係、今のヘルパーさんたちからの付き合いでも自分だけでは世界も成り立たない事を教えられている。でも、時間はかかったとは言え、一番そのように導いたのは精神障碍を持つX君と、彼に徹底的について行こうとした偽イニシャルA氏である。1982年の時は彼を切る側に僕も立ってしまった。彼は泣きながら、福祉会を去った。でも、その想いが脳裏に度々繰り返し、もっと他人を思いやらないといけないと思うようになったわけである。精神障碍者たちも差別してはいけないと。確かに、自分だけならば、一緒に他人と明日を作ることもないわけで、得られる果実は健康な人でも少ないわけである。でも、他人と心を合わせれば、非常に楽しいし、寂しくもないわけだ。得られた果実も共通のものとすると、共に成果も誇れる。キャンプの目的はその練習だと言える。
  因みに、思い出したが、X君を一番強く切り捨てる意見を述べたのが、当時の足がやや不自由な看護学生。X君を最後まで「精薄=知的障害」だと思っていた。だから「参加はムリ」と。当時は知的障碍と精神障碍の区別も付かなかった時代だから、仕方なかったかもしれないが、本当に知的障碍を持つ人ならば、キャンプの観念も判らず、参加も希望しなかったはずだ。その看護学生は一種の障碍者でもあるが、結果的にX君を強く差別してしまった。無知は恐ろしいと思うわけだ。その看護学生は一時僕の家の近い所に住んでいたようだが、お互いに付き合う事もなかった。X君の思い出が後ろめたくて。今は別の所にいるはずだが。
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