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2016年08月16日17:12

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その教派にも立派な人はいました


  一生懸命思い出した事です。二人を記憶しています。どちらも僕に対して似た事を言ったんだ。「何かできる事はないか。得意な事を生かして、仕事をしなさい。人々の心を打つ仕事を」などと。その教派にはない教義である「神の召命」という言葉を使って。内、一人は「生きる事ならば、ネコでもできる。また、交友は力を入れものではない。友人だろうが、結婚相手だろうが、心打つ仕事をしない人は出てこない」と述べ、高一人はかなり高齢の方でしたが、僕が放送大学を始めると喜び、「基礎を作り、後で仕事しなさい」と言っていました。その少し後に昇天しています。今思えば、二人に言われた事は良かったと。
  但し、二人共、ルター派の人たちとかなり交流のある方です。だから、「召命」という言葉も使ったと。考え方や僕への接し方も違ったわけですね。多くの、その教派ばかりの人たちとしか付き合わない人たちはそのような発想は出ないのかもしれません。「召命」という言葉も知らなければ、僕などには言えないわけだし。
  以上の一人は、僕が身障者だから言ったとか。召命に応じなければ、身障者は「生き地獄みたいになる」と。そうかもしれません。また、二人でも、そのような事を言ってくれる人に出会えて良かったわけです。
  その後の流れから、僕は止めて当然だったかもしれませんが、80年代半ばに行った理由は「心の疲れを取る」でした。S園に始まる78年以来の激動で。S園の件もトラブルだけでもなかった。何故、そこに行くのか、僕自身も判らなかった。何故、話し相手するのか。勿論、同級生の筋ジストロフィーを持つ例の人にはそのような事は考えませんでしたが。やはり、同級生とは違ったわけですね。何もS園に限らず、僕もストレートに付き合うことが小学以来、好きではないわけだし。因みに、今の僕は、S園にしろ、全生園にしろ、何かの文化交流という形ならばうまくいくと思います。絵や詩、随筆と、彼らは物凄い文化活動しているから、行く方もそれなりの文化を持っていかなければ付き合えないし、迷惑する人も出るわけですね。今の僕の子供向け文を持っていけば、丁度良いかもしれません。78年の僕はそれに相当するものがなかったから、行き詰まったわけです。
  「召命」があるとすれば、何も障碍を持つ人だけでもないですが、僕はそのように言われた。ありがたい事です。仏性など、仏教にもそれに通じるものがあるし、イスラムやユダヤ教、儒教にもありましょう。

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