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2016年08月16日11:51

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憎むだけでは不十分ではないか

  15日のNHKスペシャル「ふたりの贖罪」という番組を見た。パールハーバーを爆撃した日本兵士が戦後は罪を悔い、アメリカに懺悔旅行する事を描くなど、感動的なドキュメンタリーであるが、僕が一番印象的だったのは、解説者が「日本人のかなりは、戦後になり、それまでの職業軍人を憎んだ」というセリフである。戦争中はアメリカ・イギリス・中国をこぞって憎んでいたものが、終戦と同時に、別人みたいに職業軍人を憎む。「やりたくもない戦争を押し付けた職業軍人は憎い」と多くの人が思ったそうである。ならば、満州事変の時に職業軍人に「ノー」と言えば良かったのに。それも変であるが、果たして、憎むだけで良かったのか。違うと僕は思った。憎しみは否定だけの感情である。戦争を否定する感情は判るが、そこからは「何故、満州事変の時から陸軍は暴走したのか」という原因が究明されないからだ。

  陸軍暴走の理由の大きな一つは、1932年前後の日本の政治力が非常に低下していた事が挙げられている。政治家に賄賂を送るなど、政治を利権操作の対象としか考えない金持ち層が増えて、どの政党も金権腐敗して、その暴き合いに政治家たちも奔走するようになり、政治家の質が落ちて、それを補うように軍部が政治関係に口出しをするようになり、その軍部も国家予算獲得のために中国戦線を広めていって、あのような泥沼に陥り、多くの中国人たちも殺されるに至ったわけである。また、大正時代=1925年以前は多くの日本国民が政治に関心を持ち、婦人参政権運動も盛んになったが、昭和=1925年以降は多くの人が刹那的な遊びばかり求めるようになり、政治に対して無関心になっていった。

  つまり、「職業軍人」の暴走を許したものの一つは、終戦後に職業軍人を憎んだ多くの民衆だったとも言えるわけである。冷静に過去を振り返ると、そのような事も判るが、憎しみにとらわれ、感情的になるとそのような事も気が付かなくなるわけである。それゆえ、憎しみだけでは不十分だとも言えると。

  がらりと話は変わるが、多くの障碍者を殺した植松の件も、植松をただ憎むのではなく、何故、そのように殺しに至ったか。また、本当に精神病のせいならば、何故、そのような精神病にかかったか、冷静な見解が求められると思われる。

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