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2016年08月11日09:51

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若い時の僕の死生観の変化

  高校2年の時、小学4年まで同級生だった筋ジストロフィーを持ったY君の葬式に学年一同で参加した。その時の皆の声は「Y君は早くに亡くなって、かわいそう」だった。1972年。それから、7年後の1979年には、やはり、同じ難病のS君が他界。その翌年にあったクラス会の旅行でも同じ声を聞いたし、僕もかわいそうに思った。
  その後、高齢の伊藤まつさんとの死別を考えるように。最初はその内に死ぬから気の毒だと思っていた。でも、よく考えれば、僕も死ぬ存在である事に気が付いた。ならば、自分も気の毒な奴になってくる。おかしいと。そこから、以上の二人の見方もおかしかった事に気が付き、当時は「Y君やS君の気持ちは彼らでしか判らない。気の毒だと憶測した事はおかしい」と考え直した。そして、かなり時が経ち、TVで筋ジストロフィーを持つ人たちが「生まれてきて、良かった。命を燃やして生きられて、幸せだ」と述べていたのを何回も聞き、完全に筋ジストロフィーを持つ人たちへの見方も変わったわけです。
  人間は難病を持つ人に限らず、死が近いなるほど、命を燃やすのかもしれない。伊藤まつさんが絵に打ち込んだのもそのせいだと。更に、筋ジストロフィーを持つ人たちは例外なく、命を燃やす傾向があると。但し、僕の同級生である筋ジストロフィーを持つ人たちは、自分に合う創作活動や社会活動の機会に恵まれなかった。気の毒だった面があるとすれば、むしろ、そこだと今の僕は見ています。残念でしたが、それは学校だけでは能力開発は限界があるのかもしれません。今のNPOも盛んな今ならば、そのような人たちも死ぬまでに思い切り創作活動や社会活動をしたかもしれないと。そこが残念だったと思います。何事も社会へのアクセスが大事です。
  こう言っている僕も地上でやる事を終えたら、他界するわけですね。死後も意識は残るらしいですが、この人生に区切りがある事には違いありません。若い時から好きだった児童向け活動ですが、まず、それを悔いなくしているわけです。その延長で、愛や結婚縁も出てくると。
  (昔、あるボランティアの人から「筋ジストロフィーを持つ男の人たちはセックスにこだわる傾向がある。イヤになる」と聞いた事がある。僕の同級生の筋ジストロフィーを持つ人たちはそのような事はなく、変に感じたが。今思うに、性欲も命の一部には違いない。恐らく、やる事がなく、命を燃やすからこうなると。社会活動でも、創作でも、とにかく、その人に合う活動をすれば、性欲にこだわる事もないのに。話を聞いたのは1980年ごろ。主に、富山県の病院ボランティアをしている人から聞きました。当時の富山県は障碍児教育が遅れていて、筋ジストロフィーを持つ子供たちは教育から除外されていました。その果ての姿だったと思われます。そのボランティアの人は事情は知りませんから、単にイヤらしく感じたわけですね。)
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