「つぶやき」でも書いたように、フェイスブックで映画監督の原一男氏と友人になれた。まだ若く、駆け出しのカメラマンだった頃、原氏は僕の通っていた光明養護学校や僕の家に来てくれたわけである。懐かしいし、感無量でも。偉くなっても、僕の事は忘れなかったのがうれしい。
原一男氏だけでもなかった。小学6年以来、僕や同級生たちは多くの若者ボランティアや介助員と付き合い、「世間」なるものを教えてくれた。教科書や授業では得られない貴重な社会勉強である。又、「こちら中学生、そちら大学生」というように、年齢が違うと、大体、立場も違うから、立場の違う人たちとの付き合う訓練にもなった。思い出としては、やはり、中学一年の時、教員志望の学生ボランティアS氏に横浜に船を見学した思い出もある。今もそうだが、船は貿易の運搬手段の主流だから。これも貴重な事だった。
今思うと、その経験が、異年齢には違いない78年の子供会活動や、元患者のおばあさんの伊藤まつさんとの交流、今のヘルパーさんとの付き合いや、子供向け文にもつながっていると。
でも、大体、子供会をしたころ、当時の学生ボランティアの中に統合教育にこだわる者がいた。それは良いが、内容が。「統合教育をしないと、健全児と障碍児は友人になれない。又、学校の目的は友人作りにすべきである。勉強には力入れずに」。意見が合わず、離れたわけだ。後年思うと、彼らは本当に、学校・家族・親戚しか付き合いがなく、世間を知らない人たちだった。それがボランティア活動したから、訳が判らなくなり、そのような意見を持ったと。確かに、学校では同年代の人としか付き合えないからね。非常に狭くなるし、社会性も身につかない。アメリカでは、その弊害を埋める為にキャンプなど、様々な民間レベルの活動が行われているが、日本では今も不十分である。異年齢との付き合いは大事である。
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