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2016年08月06日16:15

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死の大きな区切りと、人生や結婚

  昔にさかのぼるほど、人間は短命だった。医学の未発達、暖房の未整備、衣料のシンプルさ、栄養状態の粗末さ、害虫の多さなどが複雑に組み合わさって。天下を取った豊臣秀吉でさえも現代の我々から見たら、未整備な生活状態だったため、60歳前には非常に体が老け込み、そのまま病死している。ましてや、当時の庶民たちはかなり短命だった事がしのばれる。早い話、ただの風邪でさえも命取りになっていたわけだから。ヨーロッパや中国など、世界中のどこでも同じだった。
  ならば、「私は常に死ぬ可能性がある。父母も、兄弟姉妹も、恋人や配偶者も」とだれも思っていたのではないか。いつも死別の事を脳裏に描いていたはずだ。それゆえ、愛しい人へは刹那刹那に深い愛を注ぎ、生きていた。特に、夫婦はそうだったかもしれない。ユダヤ・キリスト・イスラム教で結婚は神聖なものとされた根拠の一つもそういう事だったとも考えられる。聖書には縁のなかった日本や朝鮮、中国でもおなじだったし。
  でも、今は長寿社会で、しかも、ITも発達して各人は忙しく、二重の意味で、死を忘れがちである。自分が死にいく事も、他人や配偶者などが死にいく事も気が付かない例が多い。若い時はもちろん、中年になっても気が付かない人が増えている。医学が発達したから、体の弱い人や身障者でさえも。特に、一緒に暮らしている夫婦の場合、永久に相手と暮らすと思い合えば、だらけるのではないか。人によっては甘えも出るし。次第に飽きたりもする。イヤになる。それでの結果の離婚もかなりある気がする。
  若い時に誰かと結婚すれば、僕もそうなったと思う。飽きての離婚、又は、もっと始末に悪い、腐れ縁の関係にもなったと思う。でも、姿や写真などからは若々しく見えるそうだが、僕もすでに60歳。もう60年も生きられるはずもない。これで御縁が出来たら、双方で「別れ」を意識して、昔のような深い夫婦愛にもなるのかもしれない。何も身障者だけでなく、人間は愚かだから、長寿時代には中年までは死を悟る事ができないから、現代日本における幸福な結婚のパターンの一つは高齢結婚かも知れないと思うわけである。
  最後に、若い時の僕はハンセン氏病元患者の伊藤まつさんというおばあちゃんと付き合ったが、どう見ても死が近い方だった。「死ねば会えなくなる。今回の面会が最後かもしれない」と僕はいつも思って行っていたし、伊藤まつさんも同じだった。だから、結果的に昇天まで8年近くも行き続けられた面があったと思い起こすわけです。
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