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2016年06月16日09:57

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昔見た多摩更生園の人たちと、学校の進路指導

   考えてみれば、そのような人たちは学校には行かせてもらえず、教育も、リハビリも全く受けておらず、簡単な字の読み書きもできない人たちである。親が健康だった時は家にだけいて、外出もできず、親が倒れたら、多摩更生園に入所という経路をたどった。ならば、テレビと食事しかする事がないのも当然である。昔あった障碍児に対する就学猶予のむごい結果である。そのような人たちとの比較は良くないが、光明養護学校の生徒たちとはわけが違うのである。

  以上の説明を本当ならば、先生たちはしなければならないが、していなかったし、違いを気が付かなかったようである。問題意識も先生たちには見られなかった。まだ高校生だった生徒たちには以上の事は判らないのだから。いたずらに不安をあおるだけで。

  思い出し、本当に高等部の先生たちは社会性が欠けていたと。多摩更生園の人たちの事も、また、それを見学する生徒たちの気持ちを察する事もできなかったのならば、どうかしていたと言わざるを得ない。変だった。やはり、ベテランばかりが同じメンバーでやっていたから、気持ちがいつの間にか内向きになり、昔のムラ社会みたいになり、社会性が消えていったのであろうか。

  因みに、僕への進路指導は担任の先生が「勉強は一生続けるものだから、急がず、やりなさい」とだけ言われた。その通りだし、それは良かったと。未来の僕の生活面や人生の事などは先生も判らないのだから。身障者に限らず、人生の作り方は誰でも簡単にできものではない。変に助言して相手の人生を狂わすこともある。もし、進路指導が難しければ、何もしないのも手の一つだと思われる。中途半端な進路指導は本当に恐ろしいわけである。

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